「女」だから許されること。

1週間ぶりのネット日記の内容としてはどうかと思うんだが。
「産みたいか産みたくないか決められない女」なるエントリが500以上のブクマを集めていて、いやはや。
しかも、賛同多いなあ、アホかいな、てな内容なんだが。
つか、君が産まなくても特に社会も世界も変わらないんでそんなに気にしなくてもいい、と誰も言わないのが不思議だわ。
そんなにこんな人にでも産んで欲しいと思う人が世の中いるのかね。私は「あなたが決められないのはあなたにとって一番の選択ですよ」としか思わないな。
こういう内容をもし夫が「産ませたいか産ませたくないか決まらぬ男」なんて書いたとしたらどのような恐ろしい事が起こるか。
おそらくは女性側の大バッシングでしょう、「産みたいか産みたくないか決められぬ女」からもバッシングされると見るな、そして同じ考えの男は沈黙、、、と、
男性側の生きにくさに涙が出るわ、これを言っても許されるのは「女」だから。いやはや、同じ女ながら、その非人間的な性差には怒りを覚えるな。
とは言うものの、そういう配偶者を持ったのは個人の責任でもあるんで、放置。そんなもんよ。
御夫婦のどちらかが「欲しい」人ならば、だいたい子供は持つことになるしね、どちらかが「我」をはったら必ず別れるんだよ、「愛」というのは実は単純明快なものよ。
相手が痛切に欲しがっているものを与えない人間は相手に対しての「愛情」はないんだよね、あるのは「自己愛」
相手をマスターベーションの道具にしているようなものなのよ、どちらかの価値観が違っていると、多分、それに耐えられなくなる、
だから「実は子供なんて欲しくない」の似た者同士が結婚して生活が続く、それでいいんじゃないのかな。
結局は「産めなくなるのを待ってる」のが「決められない」人間の結論で、「欲しくない」のを認められないまま終わってしまうのよね、
自分も欲しくない、相手も欲しくない、そしてそれをどちらも認めないまま、年を取る。産めなくなってホッとする、そのあとは産まなかった理由をいくつでも数え始める、
相手もたいてい似た者同士だからいくらでも数え続けられるでしょう、よかったね、としか私は思わない。
多分、そういう夫婦は子供を持たないことがその人生の大正解だから。
でも、ここまでくどくどと「私は子供は欲しくないけど悪人ではない!」宣言をしたがるのはなぜかは考えてしまうなあ、子供がいても悪人は悪人だしね。
それは世界の常識ではないか、と思うんだが、そうではない世界もあるのだな、と、
つい「女だから許されること」なんちゃって大げさなタイトルをつけたが、特になにか考えがあるわけではなく、よくもまあ、こんなもんに多くのブクマが集まるもんだと感心したんで記念に。
「産めなくなるのを待っている女」というタイトルでよかったと思うんだが。そのほうがセンセーションがあっていいな、私は。
それは「女」にしかできないことだものね、男も「産ませられなくなるのを待っている男」になれたらいいねえ、ははは。