雑談。

昨日、「察してちゃん」がどうのこうのという日記がホットエントリにあって、長かったので途中で読むのをやめた。
つか、君の扱いにそこまでコストをかける見返りは何?とかって思っちゃうおばはんが読むもんじゃないだろうと、
で、今見るとあのエントリは「モラハラでは?」の意見もあって、なるほど、あれとまともに向き合う人は精神をやられるのだな、としみじみ。
で、それを母親にやられていた、の話も読んで、ふむふむ、私と同世代くらいの人なのでおそらく母親も私の母親世代なんだろう、
でも、この世代の人はこんなもんなんじゃないのかな、多分私世代の母親が「毒親」でなかった試しはほとんどないのだよ、知る限り。
でもそれを「毒親」と捉えるかどうかは、本当に個人の資質というか、なんというか。
子供が自立するのに、必ずしも親だけが必要というわけではない、のが私の意見なのだよね、早くに親を見捨てる子供は私の周りには多い気がする、
親という存在に「期待」がないのよ、でも自分が親になるという「希望」はある、で、実際親になってるわけで、そして子供もなかなかに良い子達に育ってるわけで、
人間の可能性って、偉人になるだけではないのだよね、どんな奇妙な環境下でも、案外社会性豊かな人間も育つ可能性もあったりして、
そんな能天気なことを書く私はいい母親を持ったんだろう、と思われるかもしれないが、私の母親の場合、やってくれることが結構ダイレクトで、
風呂で弟と喧嘩したと言って、いきなり風呂から引きずり出されて真冬に戸外に裸で放り出されたことがあったりして(母にとって最愛の弟は引きずり出されなかった)
母はあの時代、神経を病んでたね、覚えているだけでも散々だ、でも幸いにして、私は当時もあまり母を悪くは思わなかった。
母はずっと気の毒な人だと知っていたんで、子供ながらに不思議な感覚を持ってたもんだ。
今では母が病んでいた理由が理解できるので、私は自分の母親を「毒親」と思ったことはない。
あの頃、子供を3人抱えて、40前で実母を失って、夫は異常なまでの浪費癖、姑は子供を育ててくれるがそのやり方は気に入らない、
そういう環境下で病まない方が不思議だと、母は楽しいことを全否定して、多分自分の夫やその母親が楽しみすぎること、その反発が多分にあったなあ、と、
そしてその「楽しい」を罪悪視するのを子供にも強制していたのが一番私にはきつかった、
私はいついかなる状況下でも何故か楽しみを見つけずにはいられない、こういう子供は私の母にとって相当ストレスだったろう。
反りの合わない子どもを育てなければいけなかった母は気の毒、ははは。
なんて、考える私はもうしばらくしたら、都内で手術を受ける実家母に付き合うのよ、いやー、ストレスやわぁ。
手術後の母は扱いが難しいだろうなあ、と思いつつ都内で働く娘にちらりと会えるのでそういう楽しみにどこか浮き浮きする変な娘で、また母なのでした。
私くらいの母世代は激動の時代に揉まれた人が多いんで、少々病んだ親にしかなれなかった、という気がする、戦争は遺伝子を傷つけるね、怖いね。