雑談。

御嶽山のニュースを聞くたび、涙ぐむ夫婦の食卓。若い人がなくなるのはやりきれないなあ、、
特に亡くなる前に「お母さん、ありがとう、ごめんね」と電話をかけた女性の話など、その声を聞いたお母さんの事を思うと、、、ただ涙。
救助の方々を心の底から尊敬。及び、死亡診断をした医師たちにも。この仕事はきつい。本当に辛い。
この戦後最大と言われる天災で、普段ならワイドショーが飛びつきそうな事件の扱いが少々手薄になっていて、いいのか悪いのか。
北海道の祖母・母殺人の事件や、火事で妹が亡くなり、何故か兄が近所で自殺しているのが発見された事件とか、神戸の小学生女児殺人事件とか。
北海道の事件では、ネットでは「毒親だから殺してもオッケー」なんて意見も出ているが、
「○○だから殺してもいい」って、それもいわゆる「ヘイトスピーチ」だってわかってやってるのかな。
その家族が完全なる「女系家族」であったのが、私には気にかかる。
その家には「女」しかいなかったみたいだな。その不自然、歪みが何を生み出したのか、それが理解できないと、単に「毒親が殺されて良かった!」なんては言えない気がするわ。
病気の人が小さな子供を無残に殺しても「病気なんだから」で死刑反対!になるのに、虐待通報があったというだけで毒親認定、死刑でオッケー、とは、
ネットはどうかしてると、私はかねがね思うなあ。
私は極端な虐待は心の病や、発達障害が関わっている気がするわ、それを知った上でもやはり「毒親は殺せ!」になるのかな。
心を病んだ人間は殺せ、と変わらないよな。
ネットで安易に「毒親」で盛り上がるのを見るたび、心を病んだ人間に単純に「死ね!」と言って構わないか、を考える。
親子関係の歪みって、どちらもが精神的な病を患っていて、その相乗効果が極端な事件を起こす気がするな。
爺ちゃんも、父ちゃんもいない家庭、祖母が絶対的権力を持つ父親的存在にならねばならなかったか、あるいは、本当の父親たちを追い出したのか。
なんだかなあ、、、やはり殺されてもいい人間って、多分いないんだわ。それを知っておくことが大切に思う。
「子どもを守れ」は結構だけど、「毒親は死んでよし」なら、「教育再生!」とか言ってわけのわからないことを言ってる連中と変わらんわ、どちらもいびつ。
ネットではまともな人ほど、意見しないのだよな。
週末から旅行予定。でも台風。トホホ。しばらくネットはお休みざんす。