新聞記事メモ。

今朝の朝日新聞で「耕論・少年事件を考える」が、奇妙な記事なのでメモ。
児童精神科医岐阜大学准教授の高橋健氏と元裁判官・弁護士の井垣康弘氏が、それぞれ少年犯罪について語っているのだが、半分は納得できるとして、
半分は「ほんまかいな?」と疑う内容なので、聞き手を見ると、藤生京子氏と大久保真紀氏。
藤生氏の方は初めて見る名前だが、大久保真紀氏は「ああ、この人」って感じ、前にも同じような記事を読んだんだな、結局は「親の育て方が悪い!」の短絡的思考。
特に「母親が悪い!」を女性記者に書かせるやり方ってどうよ?と私はかねがね思うわ、朝日新聞のこういう男権体質にはうんざりする。
安倍政権と相性が悪いのは似た者同士だからよね、、、同族嫌悪、は意外にすぐ「仲良し」にもなれるんだけどその時が来るのが怖いな。
話を記事に戻して、こういう診断にしろ、審判にしろ、どちらも「男性」がやっているのだよね。
なぜ、私は「母親」でもある「女性」がそれをしないのか、いつも残念に思う。女性の「数」が少ないんだろうね、どちらの職業も。
「「家庭」の、「母親」の、「育て方が悪かった」とはよく言われるけれど人とは違った子供であることにまず気が付くのは「母親」
その異常を認めたくなくて極端な子育てに走る気持ちは、私も親をやっているので、わかる気がする。
それを単純に「親がちゃんと育てていればこんな事件はおこらなかった」にするのでは、なんの回答にもなっていない、育児はますます誤解されるばかりだ。
母親は万能ではないし、育児も万能ではない、というより、育児=教育として、教育は療育ではない。
「普通の育て方」だけで、本当に事件は起こらずに済むんだろうか?私は疑問に思う。
耕論では高垣氏が佐世保の事件について、事件原因に親の異常性をあげるが、子供の異常性を否定するなら、親の異常性も否定の余地が有るように思う、
親が何故異常な育て方に至ったのか、そのことを不思議と精神科医は少しも斟酌しない、多分自分が守るべき「患者」は一人だけ、であるが故なんだろう。
親までは患者に数えない、という「機能」的な問題のような、でも家族関係は、そういう一方的な解釈では解決しない。
精神科医によっては、親側の心の病にまで、踏み込んで言及する人も最近ではちらほら見られるが、そういう意見は、編集で削がれたんだろうか?と
大久保真紀氏とペアーでは疑ってしまうな、大久保氏の記事傾向は、昔からの朝日新聞体質、「われこそが正義の味方!純粋悪を潰せ!」なので。
大久保氏は以前にも子育て問題について同じ傾向の記事を編集していたようなので、よく覚えている、私のこの日記でも、彼女の名前を検索すると出てくる。
いつも結論は同じなのよね、、、「母親の育て方が悪い」
大久保氏に子育て経験はあるんだろうか?あったとして、それでも全ては母親のせい、と言ってるんだろうか?それならあまりに「異常」だわ。
親子ともども「発達障害」の可能性をもっと指摘するべきじゃないか、とかねがね思う、「育て方で全てが変わる!」ではなくて。
「教育」ではなく「療育」をもっと一般化させるべきではないのかな。
それにしても、大久保真紀氏、
ネットで検索すると、アラレちゃんメガネをかけて、顎に手をやり斜め上から撮った自意識過剰気味のポートレートが出てきて、
「ああ1980年代」と思わせる、あの趣味の悪いポートレートは削除したほうがいいわ、「マドンナ旋風」吹き荒れた頃の典型的な「かっこいい女性」ポーズだからね。
土井たか子氏も死んだのよ、もう少し変わりましょうね、、、いつまでこの手の記事を書くんだろうな。
とりあえず、あれ、と思った記事は編集が誰かをチェックしておこう。インタビューの全てを聞くと、そういう流れではないかもしれないから。