「父親が追い詰められた」

って「なに」に?と私は聞きたい。
昨日の離婚後初めての面会日に子供を殺して自殺した父親の事件に思いのほか、父親への同情ブコメが多くてあきれた私だが、
その同情の理由が父親が「追い詰められた!」ことだそうで、それは「なに」に追い詰められたというのか、
一人で子育てをして肉体的に限界まで追い詰められたわけではない。離婚して数ヶ月子育てをしていたのは母親だから。
つまり「精神的に追い詰められた」ということなんだろう。
「離婚が受け入れがたいことだった」とは「離婚で傷つけられた俺」が受け入れがたい現実ではなかったか、
なぜ「離婚」されたのかが、離婚が成立してもなお理解できていない。
「女に裏切られた」は「許しがたいこと」とある種の男はかんじるのかもしれない。
「女は男に黙って従うべき!」なのかね、幼い子供がいても別れたほうがましだと母親に思わせる相手であったしても。
もう「女に追い詰められたかわいそうな男の立場を忖度しろ!」なんてすばらしい「空気嫁」がブコメにあふれかえっていたのに
むかついて「これが母親だったらどうよ?」と書いたが、
子育てに身も心も疲れ果てた母親が子供と心中するのと「同じ」という乱暴な意見があったりして、わかってない。
根本的に「なに」に追い詰められていたのかが、まったく違う。
かの男にあったのはかつての配偶者に向けた憎悪だけだ、「オレに恥をかかせた」しかない、とわたしは見る。
彼が自殺を選んだのも、ひたすら「傷つけられた自分」を周囲に知らしめるためだろう。
「俺が離婚で恥をかかされた以上の傷を元妻につけてやる」ということではないかな。こういう人間は巷には山ほどいる。
案の定「追い詰められたせいだ」だのとまるで母親が悪いかのブコメが山ほどネットにはつく。
子供を殺すような異常な夫からやっと子供を連れて逃れた母親に、よくもそんなことが書けたものだと私は腹が立つ。
これは世の離婚した父親たちがもっと怒っていい事件じゃないか、
世間の父親が全員、どれほど妻を恨んだとしても自分の子供に手をかけるようなことはしない。本当の愛情を持つから。
こんなことをしでかすのはごく少数の異常者だと私は思う。
異常な行為に不必要な同情をよせるのは、ことさら自身の「慈悲深さ」を強調することだ。
そのナルシシズムはどうしても離婚が許しがたかった死んだ男と共通する、常に「無垢」な自分でいたいのではないか。
残された母親は会わせないでおけばよかった、と一生悔やむことになる。
そしてどれほどの心無いことばが彼女に寄せられることか。見ず知らずのネットですら、そうだ。
ソロモンの逸話や大岡裁きに一人の子供を奪い合う母親の話がある。
「子供の手を両側から引っ張って、勝った方が子供を自分のものに出来る」といわれて、
子供が痛がっても決して引っ張るのをやめなかった母親が意気揚々と「この子は自分のものだ!」と主張するが、
「子供が痛がれば本当の親ならば手を離すだろう、手を離したほうが本当の親で、勝った方だ」と
誠に当たり前のことを言って終わりになるのだが、
子供の手を情け容赦なく引っ張り続けたのがこの子供を殺した父親だということに気がつく人間がはてなには思いのほか少ない。
子供を引き裂くことにためらいのなかった人間に父親の資格はないし、また同情も値しない。
私は女子供に振るわれる暴力がまだこんなにも当然のことであるかのように世間は容認するものかと、
久々に震えが来るほど腹が立っている。この恐るべき暴力にもっと敏感に反応する人間がいるものだと私はおもっていた。