メモ。

数日前の朝日新聞に児童精神科医のインタビューがあって、還暦前後の年齢で「児童精神科専門」は珍しい気がして読んだ。
内容は半分納得、半分は「ハテ?」となるものだったが、記事監修が「大久保真紀」氏だったので納得。
この「アラレちゃん眼鏡に頬杖」女史の記事はどれも同じ臭みがあるので、
私が引っかかった点はインタビューに答えた人より編集を行った人によるものと考えている。個人の好みやね。
インタビューに答えた精神科医は女性で子供時代、心を病んだ母親に虐待を受けていたそうで、父親が母親を見捨てて愛人の元に去ったとか。
インタビューの内容はそこにはあまり関係がないので申し訳ないが、考えさせられるのが、精神を病んだ女性が意外に早めに結婚してしまう現実で、
周囲は「何で?」と思うような女性を意外に「普通」(に見える)の男性が生涯のパートナーに選んでいる。
これは私が若かりしころから、二人の娘たちの話を聞く限り、今でも「よくある」ことのようで、
精神の病と異性をひきつける力はとてもよく似ているんじゃないか、と暗澹たる思いに駆られる。これは男女逆転でもそうなんだろう。
私が今まで知る限り、子供の虐待は少なからず(と言うかほとんど)心を病んだ母親がなすもので、
私が長期にわたって見たのは食事を与えない「ネグレクト」、この母親は隠しようがなく壊れた人だった。
それでも若いうちは常に「男」がつきまとっていたのだよね、子供たちの父親はとっくに姿を消していたが。
心を病んだ女性の異性に対するすさまじいまでの魅力は否定し得ない気がする。
魅入られたように結婚に至った場合、夫婦が子供を持たないと、意外にその結婚は続く。
しかし、子供が出来るとその結婚は必ず破綻している。
これは「何故」なのか、おそらくは妊娠、出産による一時的なホルモンバランスの崩れが母親の精神の病をより加速させるせいだと推測するが、
元々その手の「心の病」に惹かれて結婚までした男が、そういう状態の女をなぜ平気で見捨てられるのか、
「そういう不安定な女を結婚相手に選んだのは、あんたやん!」と私は言いたい。「産んだのはあんたの子供だよ」とも。
心を病んだ人間の相手は大変なのは知っているが、何故、子供が出来ると妻である女を捨て去ることが出来るのか、
やはり「似たもの同士」、男もどこか「病んだ」人間であるのかねえ。
ある程度の年齢になると、精神的に不安定な人間と知り合う機会もあったりして、安定しない心の女性のたいていは、結婚していても子供はいない。
出来なかったのか、あるいはあえて作らなかったのか、作らなかったのなら、その選択肢はいよいよ正当だ、と思うことが増えた。
「子供がいないと続くカップル」は存在するのだよね、、精神の病と異性への魅力の同質性を時々考える。なんだかなあ。