未熟な親と未熟な社会と。

昨日、寝屋川市の娘を自宅監禁、放置死の続報を読んで、
精神病者だった娘の親たちはそれぞれ20歳、23歳で親になったのだと知る。
30年以上前であっても、この年齢で親になるのはかなり若い方で、相当未熟な夫婦だったと思われる。
亡くなった娘の年齢は33歳で、病気が疑われ始めたのが小学校高学年くらいとして、
おそらく今ほどは子供の精神病が認知されていなかった時期で、
その子供の病気を、大人になりきっていない夫婦にどれほど理解できたか、私はこの夫婦にひそかに同情する。
ネットでは最先端の精神病者対応が高らかに喧伝されるが、現実の世界は今でさえ、対応が追いついていない。
今もなお、地方には子供の精神病専門の医師がいない、今のこの少子化では、増えることもないだろう。
心の病の子供を夫婦二人で抱える困難を痛ましく思う。
私の娘たちが小学生ぐらいでようやく「学習障害」の言葉が知られるようになったが、
まだ小学校の先生でもその言葉の認知は低かった。
気になることがあったので、それとなく当時の担任にその言葉を聞いてみたところ、
あからさまに「流行り言葉に飛びつく馬鹿親」的な対応を見せられたりして、質問を封じられた。
うかつにその手の質問はしないに限る、と思い知らされた。
いったん教師に抱かれた疑念を払拭するには時間がかかる。
時間をかけても、こうだと思い込まれては全てを否定的に見られることもあったりして、
ただ、教師はその人だけではなく、別の教師もいて、別の意見も持つので、私は不便を感じたことはあまりない。
話を寝屋川市の事件に戻せば、親として許されざることをしたのは事実だが、その対応が、どこまで責められるか、
私は父のアルコール依存症治療のため再々、精神科病院を訪れて、
もし、ここにまだ若い娘が入院したら、治療以前に別の問題を多く抱え込むんじゃないと感じることがある。
正直なところ、若い女の子が入る場所ではない病院が多い、しかし、低年齢者専門の精神病院は地方にはない。
未熟な親が未熟な社会に追い詰められて起こした事件ではないか、
無理解の狭間に落ちて救われることがなかった哀れな親子ではなかったか、地方に住む私は彼らを過剰に叩く気にはなれない。
ここ何年かで精神病者への対応はかなりよくなったほうではあるものの、まだ偏見は多いし、
ほんの少し前までは、いわば「座敷牢」のような場所に心の病の親族を押し込めて面倒を見るは、なんとなく容認されてもいた。
病院に入れるに忍びない、でも放置するわけにもいかない、そういう家族を持つ一族は珍しくはないだろう。
してはいけないことをしてしまった人をかばい立てするわけではないし、
確かにネットで「これぞ毒親!」と高らかに言い放たれる見本のような存在であるのは私も認める。
ただ、こうやってどこまでも、追い詰められる哀れな親の姿をもう一人の娘はどう思うだろう?
私は亡くなった娘もその夫婦も、心のそこから哀れだと思う。「毒親!」と突き上げる気にはとてもなれない。
未熟な親でも受け入れられる成熟した社会を目差すには、どうしたらいいのか、私には答えが出せない。
ただ、罪は罪としても、過剰に人を追い詰めることがないように心がけようと思う。