父親の虐待記事から。

最近になってたびたび、父親による子供の虐待が記事化されて

時代が変わったと思うこと、多々。

「父親が不況で家庭にいるようになったせい」と思えるかもしれないが、

実は昔からあったものが記事になるのに読者が抵抗しなくなったんじゃないか。

私が知る限り、むしろひどい毒親とは父親である場合が多かったので

ようやく、少しづつ、女性ばかりが責められる社会ではなくなったか、

「父性」がいわば社会秩序であったかつてはあまりにも受け入れがたかった、

父親の子供への虐待、

これはそれをされた子供も、敵は父親であったことを見出せずに

母親ばかりを責めていた気がしている。

まあ、結局は経済力があるほうに媚びたい、の普遍的人間的性向のせいだろうが。

それにしても記事になるのは、被害者がまだ幼い女の子である場合ばかりと言う、

私は被害者が息子の場合も多々あるのを知っているし、

それが殺人にまで至らないだけ(男の子は女の子より丈夫だし)で

もっと「大人になれていない父親」問題を取り上げても良いと思うんだよな。

精神病者がうっかり父親になってしまう危険は喚起してもよいんじゃないか。

母親ばかりが責められがちなのはやはり「産む性」で、

「そういう相手を父親に選んだお前が悪い」からなんだろう。

でも、判らない場合も多いからね、男は経済力があると。

最近は任意で「父親教室」もあるそうで、

だったら高校生時代から必修科目として「父親講座」を開いてはどうか、

ショーもない「道徳」なんて教えるより、よほど良い気がするな、

「良い親教室」的なものをそれぞれの性に応じて受けさせるのはどうだろう。

少しは役に立つんじゃないか。

私はネットの「なんちゃって毒親育ち」には厳しいが、

毒親が存在していないとは思っていない。

私の知っている最低最悪毒親は娘たちの同級生の父親だった。

その犠牲者である娘は最終的には完全に親から逃れるために地域の友達の

つながりも切ってしまった。

仲のよい友達がもし自分の居所を知っていたとしたら

自分の父親がどんな手段を使ってでも聞き出すであろう現実をよく知っていた。

「迷惑かけたらいけないから」と、彼女の凄まじい決断には今でも涙が出る。

父親から逃れるために綿密に計画を立てて実行した彼女が

今はどこかで幸せに暮していることを心から望む。

彼女はたぶん、ネットにも存在しない。

毒親から逃れるってそういうことなのだよね、、