雑談。

そういえば、福岡雑記を書くはずであった。
しかし、先日の件で結構動揺しているので、書くことを忘れている。
実は、現場となった場所のすぐ近くのホテルを利用していた。
故にマイダーリンが夜、寝る前にネットのニュースを見て「ここ、君が泊まったホテルのすぐ近くっぽい」と言って、
私は疲れていたので「へー物騒やね」で寝てしまった。
翌日、詳細を知ってびっくり、しかも事件の少し前まで娘がその付近で遊んでいたことも知ってまたびっくり、
「天神はしょっちゅう騒がしい」とお嬢は言うし、私も警官がすぐ近くにいるのに小競り合いを始める集団を2度ほど見かけたので
周囲はあまり驚かなかったのかもしれないが、やはり年のせいで動揺している。
なんと暴力の近くに私たちは存在しているのか。
私はとても私の子供を愛している。
二人の娘たちの様子を伺いにマイダーリンが時々私を出してくれて、久々に娘の顔を見るときの、あの瞬間がとても好きだ。
緊張して社会に身をおく若い娘が、私の顔を見てほっとした表情を浮かべる、あの美しい瞬間をどのように表現すべきか、
人が生まれ、育ち、離れて生きて、それでもまだつながりがある、懐かしさ、慕わしさ、ぬくもりを
どれほど私が愛しているか、人が唐突に命を奪われる事件にことのほか衝撃を受けるのは、
亡くなられた側のご家族が、その瞬間を永遠に奪われる、言葉に出来ないその悲しみを、
たぶん、繰り返し夢にまで見るだろう、毎日見ることのかなわない顔を、もう2度と生きてみることが出来ない、
その悲しみを私はどのように表現して良いのかがわからない。
戻ってこない子供を年をとった親はどのように受け止めるのか、
ここ数週間起こった何件かの殺人事件はまだ死ぬ年齢になってない人ばかりが、理不尽に命を奪われている。
私は子供がいくつになったとしても、久しぶりに見る親の顔を笑顔で迎える娘の顔をいつまでも愛するだろうと思う。
その実感から、どうしても加害者たちのしたことを許すことが出来ない。
あなたたちが奪ったのは、その人ひとりの命ではない、その命を生み出し、育てた人の心の一部まで殺している。
それが理解できない永遠の不幸を気の毒に思わなければいけないのだとわかっていても、
命を奪うのは、誰かその人を大切に思う人びとの心まで殺してしまうのを許すことが出来ない。
親の心を、時間を、殺してしまう、もちろん、殺した側の親の心も、それまでの時間も、同じく殺す。
悲しい、とはこのことを言うんだろうな、もう少し落ち着いたら、福岡雑記を残そう、私はまだ、悲しいのだ。