思い出の容量、、

というのはどの程度までか?を片付けをするたび、考え込むなあ、、(涙)
何をどこまで「記憶」のために置いておくか、子供のものを片付けるときには特に気になる。
自分の生の先が短くなっていくのを漠然と理解しつつあると、多分、モノを捨てるのは困難になるのよ、親を見ているとそう思う。
ある程度の若さがなければ「捨てる!」はできないので、まだ中高年と呼ばれる世代のうちにできるだけ処分、と考えてはいるものの、
難しいのよね、、「記憶」があるから。しかもそれは子供であっても自分とは違う人間の「記憶」なので。
つか、自分のものを処分して出て行けよ!とは親になって子供が独立して初めて知ることだわ、
最近になってやっと、私も結婚前の私物を親の家から引き取ってきている、そして思い入れなく即「処分!」と、そういうものなのよ、子供の記憶って。
たまの帰省に過ごしやすくするためには子供の部屋を納戸化しておくわけにはいかないので、子供のものも処分対象にしているんだけど、
(つか、明らかにこれはゴミだろ!ってもの、多すぎ!)考え、考え、やっているので時間がかかる。だからさほど進んだ感がないのよね、、、
捨て方も難しいし。
てなことを毎年春先にやっておりますなあ、の記録。思い出の容量は、年と共に大きくなる、という気がするのでした、トホホ。