雑談。

今度の大学入試改訂では部活動の活躍も云々とあるが、今とどう変わるものかね、今でも国立大学の推薦入試ではそういうのがあるのよ、
地方の国立大学医学部には地域枠の推薦があって部活動実績も見るので、時々とんでもない「どあつかましい」ことをやらかす親子が出てくる。
学年途中から急に入ってきて「部長をやらせてくれ!」とかね。
前々からずっと思っているのは「コミュニケーション能力」とは「どあつかましさ」力だなあ、と、
まるでスタンプラリーでもするかのように、ただ「そこにいました!」だけを集めるためにあれこれやる人間ってどこにでもいるのよね、
それが名のある研究室だったりしたら、最終的には理研の「小保方騒動」となる。
名前のある場所に「いた」という「だけ」で人は簡単に信用する、ま、一般人は暇じゃないんで、「何か」が起こらなければ調べたりしないのだよね。
「コミュニケーション能力の賞味期限は3年だ」と私の兄は言うが「3年」は長すぎるわ、せめて「1年」にならないものかしらね。
「あちこちで勉強しました!」は果たして本当かどうか、
「あちこちをたらい回しにされました」か、「あちこちでバレる前に逃げてきました」ではないか、と考えられる人に、私はちらほら会ったことがあるので、
「コミュニケーション能力」ほど嫌いな言葉はない。まだ「コミュニケーション障害」の方がマシ。
大学受験のあれこれの覚書をしようと思いつつ、ふと思い出したことがあったので。
あちらこちらに迷惑をかけながらも地元枠でなんとか医学部進学を果たした親子は未だに絶好調らしく、
彼らが絶好調であればあるほど、コミュニティでは障害が出るようで、また数年後に噂を偶然仕入れることになったら、何を聞くやら。
彼らが社会を乗り切るための「どあつかましさ力」、、ではなく「コミュニケーション能力」が素晴らしく発揮される時、何が起こるのか、
遠目に見る分には感心するものの、早めに関わりを避けられて良かったなあ、と思っているのでした。
「自分が一番!」になるためだったら、何をやっても「正義!」と信じられる人ほど、怖いものはないのよ。
「経歴・スタンプラリー」をするくらいなら、地道に勉強するほうが遥かにマシである世界であってほしいものよ。