ほんのめも。

小保方さんが刑事告発されたようで、これは致し方ないことだろうなあ、と「捏造の科学者」を読んだばかりの私は思う。
こういう形でしか決着がつきそうにない問題であるという、科学の世界のくせに何をやってんだよ、な
「捏造の科学者」を読んで、暗澹たる思いにかられ「論文捏造」を現在読みながらますます「科学者の社会」の救いがたさに絶望を覚えている私は、かばいようもないわ。
今読んでいる「論文捏造」は「捏造の科学者」にも紹介されていたアメリカの「ショーン事件」を取り上げたNHKのドキュメンタリーをもとにした新書で、
こういうことでもなかったら、私は読まなかっただろう種類の本だ。
「論文捏造」で、冒頭から続くのが捏造者とされたドイツ人研究者ヘンドリック・ショーンの「いいひと!」評判で、
小保方氏の前評判が誰に聞いても「優秀な若手研究者!」とよく似ている。
これに私はめちゃめちゃイラッとするんだよ、「そこに座ってお前たちの「いい人」定義を50字以内に述べよ!」と言いたくなる、
「捏造の科学者」を読んで、結局小保方晴子氏は本当に「優秀」だったのかどうか、わからないものね。
ショーンに関しても周囲は「いい人」としか言わない、本当に「いい人」は「嘘」をついて他人に迷惑はかけないものだが。
つまりは誰も責任を取ろうとしていないとしか思えないんだよね。「いい人だったから」と言う人を疑わない自分の無垢が盾になってる。
私がうんざりするのは「一流の科学者」の条件とはどうやら「立ち回りがうまい」ことのようだ。「文系かっ!」と突っ込みたくなるわ。
上手に言い換えれば「コミュニケーション能力が高い」ということだが、その能力が高かったことで小保方晴子もヘンドリック・ショーンも
受け入れられた、本当に科学を進歩させるに必要な能力の高さは問題とはならなかったようだ。
もっと実力主義の社会ではないんかいっ!と、ズブズブ文系では実力が勝つか、「コミュニケーション能力」が勝つか、ややもすればわからなくなる世界に
時折絶望感を抱くというのに「理系」も同じかいっ!!!!とおばはんの「夢」を打ち砕いたわ、、(涙)
ヘンドリック・ショーンの「いい人伝説」にはほんまいらいらさせられる、要は、君ら「人間」に興味がないんだろ、「人」を見ていない、
その無関心は傲慢でもあるわ、「科学者がそんなに偉いかっっっ!!!」などと、ど文系の僻み根性が発動、
「科学者、見る目なし!」などとマイダーリンに愚痴ったところ、
「ほかの科学者によほど社会性がないんじゃないかな、「普通の人」がいないから珍しい、すぐ「いい人」になれるのかも」と、
まあ、そうかもね、社会性のない人間が多そうなところというのはもの書く世界でもそうだもの、一般社会で「普通の人」がすぐ「人格者」になれる。
てなことを考えつつ「論文捏造」を読んでいる、この事件が一般に応用できる人間社会の構造、心理の動きをわかりやすくおってくれるので、いい本だ。
私の「夢」を壊した恨みつらみをぐちぐち書きながら、そのうち感想を残そう。
ま、なんにせよ、人を騙すような奴にまるっと騙される人間が多い、天使のような心根の科学者の世界では悪人の私は生きていけそうにない、と思うのでした。
「美しい世界」には簡単に悪しきものも蔓延るものなのね、、、(涙)