さて。

この季節なので、お受験の極意でも書き残すかと思ったが、昨日の日記の記述に問題点があったようで、この際なんで書いておく。
今、発言小町で注目の「冷酷な姪」のタイトルで相談があって、
この「子供嫌いで子供を作らなかった夫婦がインフルエンザで寝込んで近くに住んでいる姪を呼びつけて病院に連れて行ってもらった上、
冷蔵庫まで満タンにしてもらったにかかわらず「年末の忙しいのに、これじゃ先が思いやられる」と言われたことに対して「冷酷だ!」と
「姪に頼る気はない」と言いつつ、これから嫌味を言われず快くいろいろやらせるにはどうしたらいいか」と、
それはそれで「ふるぼっこ」な素晴らしい「釣り」かと思われるものの、実はそうではないのかも、、、という危機感が私にはある。
独身と、子供嫌いでこなしの夫婦ものって全然違うんですわ、なんだかんだで独身の人間は世の中生きにくい。
でも、既婚者はそれがない、というか「子供なんか、めんどくせ」ってな人間が夫婦で集うと年齢を重ねるたび、ものすごく傲慢になるんですな。
つまり、「快適」ってお金で買えるでしょう。年を経るにつれて、子育てにかけないお金をどこまでも自分にかける。
中年過ぎると、そういう状態に慣れすぎて、ほんの少しの「我慢」も異常に嫌う、
その上、他人に「なにかしてもらっても当たり前」、誰かに何かをしてもらうことを親に何かをしてもらうことと「同じ」にしか思わない。
自分に「子供」がないから子供気分がいつまでも抜けない、自分がどんなムチャを押し通そうとしているかが全然わからない。「快適」にしか生きてきていないから。
そういうわがままも、仕方がないかとまだ年上の兄弟である私は大目に見るが、同じようなことを、私の子供にまで、求めようとするのだよ、それもごく自然に。
それを自分にしてくれるのは「当たり前だろう」と信じて疑わずに。
いや、親でさえ、もう子供には頼ってはいけない時代なんで、そういうことをやんわりとでも言うと、「甘やかしている!」とせせら笑われる。
違うんだよなあ、もう時代が変わってる、叔父の言うことを聞かねばいけない時代は昭和で終わってる、
そもそも、結婚してもいつまでも夫婦ともども自由でいたいから子供は造らない!宣言をする時点で、昭和の規範からはかなり離れてるでしょう。
でも「子供」「目下のもの」に対する意識はいつまでも「ど昭和」、どうしたもんか、と頭を抱え込むわ。
それでも「あんたに子供はいないでしょう?何をいい加減なことを言ってんのよ!」と言い返すことははばかられる、これが現代の「規範」
「俺の面倒を見させてやる」「それを喜べ」みたいな絡みをやられても、こちらとしては困るだけだし、
正直、弟氏は私の子供に何もしてくれたことはないのだよね、妻氏が子供嫌いなんで。
困ったことに、「昔から知ってた」と娘たちには今年初めて言われたわ。「ママは隠そうとしてたから、言わなかったけど、私たち、知ってたよ」と
大人になった子供たちは大人としての付き合いをちゃんとしてくれるが、それ以上のことを求めるのを「当たり前」にしか思わない弟夫婦がこの先どうなるのか、
その「俺たちを大切にするのは地球の常識」みたいな揺るぎなさに私がどれほど心を痛めているか理解してもらえることはあるのだろうか、
多分、ない。
子供を持たない選択をする夫婦ってそんなものですわ、そういうカップルは今の世の中、もう珍しくない。
独身なら「まだマシ」、面倒を見るのも一人ですむ。でも、私の親は、私の子供たちに弟夫婦の面倒を見て欲しがっているのだよね、、、(涙)