雑談。

理研の会見で、最後に小保方氏を「犯罪者扱いして済まなかった」と言った件で思い出したのは先日ノーベル賞を受けた中村氏で
空気のよめさなっぷりはよく似ているな、本当に研究者というのは浮世離れしている、と感心したのでした。
理系人間の優秀さは浮世離れがセットになっているのか、小保方さんもどちらかといえばその点は大いに満たしているな、
誰に向かってなにを言おうとしているか、というよりは、むしろ自分が言いたいから言う、的な、
しかし中村氏が嫌われるのは何を言うにしても、いかにも田舎のおっさん風の発声をするからで、
その点、理研のエリート街道まっしぐらの人は話しぶりが中村氏よりはるかに洗練されていて、反感はそれほどでもなさそうな、
どこでどのような教育を受け、どんな環境下にいたか、は話し方に出るのだよな、そして大抵の人は「話し方」で誤魔化される、内容ではなく。
下積み生活の長かった中村氏はその点で本当に不利な人だな。
しかし、理研の先生は結局あれで何を伝えたと思っているのか、非常に文系的手法で、結論はあいまいになって、
結局、スタップ細胞はどこか存在の「可能性」があるような、「可能性」はどこにでもなんでもあるから仕方がないんだけれど、
「研究者は誰も悪くない!」が結論とは本当に「身びいき」は怖い。それがわからないほど、浮世離れするものか。
こういう「ズル」をやったら再現できました!的な検証はやらなかったのね。
「科学は善意で出来ている!」が科学者の絶対的拠り所なのだとしたら、トンデモ科学が科学を学んできた人に唱えられる理由が分かる気がするな。
科学も真理も実は「善意」とは全く別のところで存在するのだろうと思う今日このごろ。悪人で良かったわ。