「それを言っちゃあ、おしまいよ」的な。

最近、子供の声が「騒音問題」として認識され始めて、よく見かけるのが、ことさら冷静さを装って、「うるさいものをうるさいと言って何が悪いの?」的な、
私は「それを言っちゃあ、おしまいよ」と思うんだよな、子供の声はよく訓練されない限り、それほど耳障りのいいものではないから。
でも、「うるさいといっちゃあ、ダメなの?」と開き直られると、
「あんた、デブにはデブといっちゃあ、ダメなの?という人ですか?」と聞きたくなる。
その「言って当然のことでしょ?」ってなスタイルは「馬鹿に馬鹿って言って何が悪い?」的な、
まあ、言いたければ言えばいいですけど、あんたは人様を馬鹿にできるほどの賢人なんですか?と、
そういう人は「当然、私は賢人です!」と思ってそうなところが怖いな。
なんと言えばいいのかなあ、、殊更に自分は言って当たり前のことを言ってる!スタイルの人は傲慢で、説得のしようがないんだが、
それでも保育園、幼稚園の騒音は、少なくとも夜中じゅう続くとか、土日祝日、休みなく、とかではないんで、
そもそも「騒音」とするべきものかどうか、「うるさいものはうるさい!」とは言うけれど、その受け取り方は人それぞれで、
年をとるとある種の音が聞こえなくなるそうだが、その分、別の音域には敏感になるんじゃないか、と言ってそれを尊重しすぎると、
他人を容認できなくなる、そのことを強調して「子供の声はうるさいから我慢するべきじゃない!」というのは何かが違う、
いやー、やっぱり我慢すべきでしょ、それが社会の常識ではないのか、
いいヘッドホンあるよ、完全なる静寂を求めるなら、旅行するのだってありだよ、対処のしようは大人であればいくらでも考えられる。
夜の安眠妨害にまでなるような、騒音を保育園や幼稚園が出すとは考えられないんで、
「子供の声がうるさーい!」「訴えてやる!!」ってのは、ヘイトスピーチと同じく「禁止」にしてもいいと思う。
で、私が子供の声が聞こえない閑静な住宅に住んでるかといえば、全然そうじゃないんで、ちょっとワケアリのご家族が向かいに住んでいて
少々ワケアリの母親が一日中子供に向かって叫び、時間に構わず子供が泣き叫ぶという、素晴らしい環境下にあるんだけど、
事情を知ってるんで騒音とは思っていない、実家は公立中学校の真裏で夜9時頃まで野球部が練習する音やら声が聞こえるところだったが、
まあ、慣れてるってのもあるんで、(そしてその学校に通ってたんで)私は「都合の悪い音は聞こえなくなる」的な特技を磨きましたわ。
「子供だから仕方がない」は、もっと共通認識として発展してもいいと思うなあ。
つか、いい年になると、基本的にご近所の騒音としてしか子供の声とは関わらなくなるなあ。
私が出歩く場所や時間帯は、子供は関わらないところになるんで。それが「できる」のよ、大人は。
「私、当たり前のこと、言ってます!」と子供の声を「騒音化」するのは、「大人」のすることじゃないですよ。
でも子供が少なくなって、子供をただの「小さい何か」としか認識できない人間が増えてる現実。
もう、本当に「子供の声を騒音とするのは禁止条例」あっていいと思うわ。大人って「我慢」したり、やり過ごすことができる生き物のはずだからね。