昨日のNHK「クローズアップ現代」で「昼間でも大声を出しては行けない公園」なるものが紹介されて愕然。
水で遊ぶ子供の声がうるさい、と噴水を止めてしまった話もあった。
公園近くに住む人は「知らない子供が増えてきたから、ストレスになる」と、知らないおっさんの声ならこわいかもしれないけれど、
どこの子どもかはわからなくても、子どもは子どもじゃないか、なにがそんなにストレスになるのか、
かなり年配の、孫も立派に育て上げたっぽい方なのになあ、、、、少々、呆けが来ているか。
しかし、この手の話は数年前まで通っていた子どもたちの小学校にもよく寄せられた声で、
「運動会の練習の音がうるさい」「運動会で一日中、放送が聞こえてうるさい」とか、一度は全くナレーションを入れない運動会になったこともあった。
通常、放送部の子どもの「がんばれ、がんばれ」の声が入るんだけど、実に「しーん」としらけた運動会だった。
文句を言ってくる人間が、子どものいない人たちならば、まだ納得できなくもないんだけど、
あんた、自分の子どもをこの小学校に通わせたでしょう?な人が平気で文句を言ってくる、
「お互い様」とか、「ああ、この季節が来たなあ」とか、考えることはないのか?と不思議で仕方がない。
運動会に関しては、傍若無人に車を学校の周りに迷惑駐車する人たちもいて、
毎年、役員が「ここはいけませーん」「すみませーん、どけてくださーい」と呼びかけて、渋々どけてもらったりする、(でも、またかえってくる人も)
それがご近所のストレスになる、のはわからないでもないような、、、
知らないお兄ちゃん、おっちゃんに「車は駄目なんですぅー」と下手に出て車をどけてもらう役員業の方が、更にストレスフルなんだけど。
ちなみに、案外、こわそうに見える兄ちゃんたちの方が素直に役員の指示に従ったりする、少なくとも私は殴りかかられるようなことはなかった。
「恥をかかされた!」とばかりに、キレる人間はごく「フツー」に「見える」人たちだったりして。人間はわからん。
ご近所の話に戻せばたった1日の運動会でも我慢できないかな、そこまで「生きている」ことが「ストレス」なのかな、と思ってみたり。
「クローズアップ現代」にあった、ボール遊びが出来ない公園、子どもが昼間、騒いではいけない公園なんて、なんのためにあるのか、
そんなに「子ども」はこの世界でストレスフルな存在か、
かつては子どもでもあった自分自身が、また他人のストレスになっている可能性を考えることはないか、
「お互い様」とは「美徳中の美徳」に思えてきた。
あんまり馬鹿馬鹿しいんでちらりとしか見ていないが、自分に全く関係のない保育園の運動会に乱入して、バカをやった奴がいるとか。
こんな奴は無条件でぼこぼこにしてしまいたい、と思う、やったら「ざいとくかい」レベルに引き下がってしまうけど。
バカは壁の中にぬりこめてしまえ!と考える私もまた、バカ。
なんとも、情けない世の中に生きているな。
それでも、この奇妙な世界で子供を育てるのは面白かったりする、「ストレス」を「スリリング」に変えよう。