PTA活動の思い出。

「学級崩壊!」華やかなりし20年以上前に幼稚園、小学校、中学まで

役員をやった思い出など覚えているうちに。

娘たちが小学生時代は外国人家庭は中華系・フィリッピーナからラテン系に

変わる過渡期で、中国系ママは教育熱心で、言語的にも土地に溶け込んでいたので

何かの拍子に「国際結婚!」と驚くことも多かった。

フィリッピーナ系は土地に溶け込むより故郷から呼び寄せた親族とわいわいの

ラテン系に感化されがちだったので、やや孤立気味。

現在はインド系、ムスリム、などなど、一言で「外国人」枠でくくれない、

カオスな状態らしく学校の先生が大変そうだ。

現在、国が豊かになって中華系は消えている。

国を出て豊かさを求める人間にあまり悪人はいないし、

言葉がわかって子供のためならばとちゃんとやる人の方が多かったので、

外国人問題は私の時期はなかった。

それよりは、同じ言語を使いながら意思疎通が難しい、思い込みの激しい

日本人の方によほど手を焼いた。

役員をしているというだけで敵視してくる人間がいて、

少しでも自分の気に入らない要件があれば、山ほど文句を言ってくる。

自分の子供が他人の世話になることは容認しても、自分が代わりをするのは

拒否!の人が総会でごねる。

運動会など催し物で、役員が朝の5時から学校に来ないといけない場合、

学校の敷地内に車を置いても良い決まりがありそれを「利権!」というなら、

お前がやれ!と言って撃退する役は私に回らなかったことに感謝。

彼らは「自称・良識がある」ので役員は拒否。

メディアのPTA攻撃のおかげで役員は攻撃しても良い対象と思われて迷惑した。

敵は身内にもいて、何一つやる気もないし出来る能力もないのに

なぜか自分を「地域の名士」一族と思い込んで役員をやりたがった人物が

自分がいないところで物事が決まったら大騒ぎするのに役員会に来ないので

メールしたら役員全員にわかるように「愛の逃避行をしてます!」と返してきて

駆け落ちを隠さない、あまりの蛮行ぶりに役員みんなで腰を抜かした。

すぐ知った役員は黙っていたのに本人が自分の駆け落ちを吹聴しまくったので

子供たちが気の毒で、地元の農家の一人娘だった彼女は養子に入っていた夫と

その子供たちを追い出して駆け落ち相手とその子供と戻ってきたが、

20年たった現在、その相手の次の相手(!)にも去られている。

絵に描いたようなデブスで「婚活殺人」の木嶋佳苗によく似ていた。

相手も当時はまだ珍しかった「出会い系サイト」で漁ったよう。

また、「ジェン・フリ オタク」と陰口をたたかれた役員もいて、

役員仕事はしないのに、なんでも「ジェンダーフリー!」に結び付けてごねる。

たしかにその思想は立派ではあるものの、

それを振り回す人間に人徳がないと忌み嫌われてしまうことを目の当たりにした。

行動の伴わない人間ほどなぜか思想にどっぷりつかる。

中学になると我が地区は面倒くさいのは近所の私立に行くのでややすっきり。

なぜか中学からは男性が役員に入る場合も多かった。

高校は、私はもう総会に行く程度の保護者だったのでもめ事は知らなかったが、

小学校の本部会でもめた教育大附属の役員との紛糾もあったらしい。

ただこの手の役員のご子弟の成績が芳しかったことはなく、

進学校では「子供の成績」という圧倒的序列には逆らえないので

立場は輝ける「附属出身!」だろうが底辺中学出身だろうが「平等」だった。

子供の「お勉強ができない」は親がどれほど奮闘しようがどうしようもない。

成績以上の大学の「推薦枠」狙いで壮絶な親同士の駆け引きがあったそうで、

今にして思えば、その手の情報戦にかかわらずに済んでよかった。

そういう役員枠のうまみのノウハウが「ない」のも階層間格差と思ったり。

教育大附属幼少中は私の地元では有名な文教地区にあり、そこの普通の公立も

妙にプライドが高いのに本部会では附属役員たちの「うなずき」係になっていたのには

驚かされた。日本の末端層ではあれこれうごめく。

小学校時代が一番長いのでいろいろあった。

しかし世の中のちゃんとしたところには、ちゃんとした人間が住んでいると

ネットで理解して、世界が広がる。そういうところに住んでみたい人生であった。

おわり。