雑談。

朝日新聞の書評欄を読んでいたら小学校PTA役員の押し付け合いにちらりと触れた箇所があって、
まるで役員をやっている人間を洗脳された悪人であるかのような記述に、はて、と。
やりたくないのにやらされているのは同じなのでな。
しぶしぶやっている上にこんな風に書かれるのではなんとまあ、世界は偏見に満ち溢れていることか。
役員はやってくれる人を見つけなければ今やっている人がずっとやり続ける、なんて習慣がある場所もあったりして、
私の子供たちの小学校では「3回は必ずする!」で、まだ10年以上前は「ご家庭で」だったが
今は「子供一人につき」になったとか。これでは子供が3人いるご家庭ではずっとやってることになる。
「あなたがやらなければ他の誰かがやることになる」にためらいはないのかね?と聞きたくなるが
そもそも「だからPTAには入らない!」の話なんで、いやはや。
全員不加入になればいいんだろうが、子供の運動会のときなんかはどうなるものか。
近所の駐車違反を注意したり、騒音への苦情に対応したり、役員がやることがたくさんあるんだけど、
それも先生がするとなると過重労働なのだよね、学校の運営にかかわる保護者の団体は必要に思うけどな。
役員の押し付け合いは何度か経験したことがあって、時間だけがもったいない、と思った場合、
引き受ける人はそれなりにいる。何時間も拘束されることは私の場合、なかった。
引き受けるのがわたしになるときももちろんあったりして、
私の場合、根が不真面目なのでちゃんと役員をやろう!とは思っていなくて、
「いい加減でも良いよねー、引き受けてあげたんだから」とやりもしないのに文句だけ一人前に言ってきた奴に対しては
にこやかに、でもそれは言葉には出さず、ただ「匂わせて」対応したこともあったな。
「じゃあ、あなたがやればぁ」と言い出しかねない雰囲気を感じたらすぐ尻尾を巻いて逃げるのだよね、
そのかわり、やまほど悪口を叩かれる、ろくでなしは何処にでも大量にいるので、そいつらの仲間は多い、いやはや。
と言って、その仲間に入りたいかと言えば全然そんなことはないんで、
私は出来る範囲で役員業をやってそこそこの実績と信用を作って終わり。
やらずに文句ばかり言った人間はろくでもない集団となんだかんだで揉め事を抱えたりして、
でもそれも人生なんだよな、自分は何もやらずに他人に何かをさせて、それに文句だけを言う、
幸せなんじゃないかな、と時々私は思ったり。
私は役員なんかやらなきゃ良かった、と思ったことは一度もなく、やってよかったと思うことが多い。
役員仲間には断りきれずにずっと引き受けて何も出来ない人もいたりして、
でもその肩代わりをしなきゃ、なんて考える必要もなくゆるくやっていた。
みんながやりたくないことをやって「あげてる」んだから、
感謝しなくても文句は言うな、くらいのことを考えましょうな、と言うお話。
昨日、ブクマで長いコメントをいただいてその中にあった「女のいやらしさ」とはこういうことかな、と。
「文句があるならあんたがやればぁ」をじわじわ、とは「女のいやらしさ」になるかね。
でもそれって「社会性」だよな、「社会性」を馬鹿にしてはいけないと思う。