思ったこと。

殺傷事件の「誰でもよかった」の台詞が許し難く思えるのは、被害者の顔を失わせるからかな、
「あなたの存在に何の意味もない、あなたでなくてもよかったのだ」というのは命に対する最大の暴力じゃないか、
圧倒的な「力」を他人にふるいたい、なんの「力」も持てない自分を拒否するために、そんな気がする。
ネットでも「問答無用!」の言葉がうける、例えば「モンスターペアレント」。
これを使えば自分は「モンスターではない、人間だ」とみんなに思われると信じているんだろうけど、
私にはそれを使う人間の頭の悪さを強調するだけに見える、
大体リアル「モンペ」なんて、親をやっていない奴が見たわけがない。本物の「モンペ」を見たければ子供作って鏡でものぞけば?ってこと、
「子供の親を化け物扱いして思考停止になるのでは何の解決にもならない」と教育現場の人が書いていた。
「それは教職者として恥ずべきやり方だ」。
地域役員をしていたときに子供会のお金を集めたり立哨当番表を配る度に
えんえんと「自慢」「説教」をこちらにしてくる「ウザ親父」がいて、
子供は中学から私立に行かせるだの、PTAなんて必要のないシステムだの、
そこの子供は公文やら英会話やら進験ゼミやら、評判になるほど色々させていると噂にも聞いて、
まあ好きにするがいいさ、と最後まで愛想よくにこにこ振る舞って、(ネットには「てんこす薄い安物親父」と書いたかも)
でも、それでよかった。
役員活動の最後の方では、だんだん弱気なことも私の顔を見ると言うことがあったり、
役員を辞めてからウザ親父が娘さんをどんな事情があるか知らないが1人で育てていることを知った。
新役員に引き継ぎの時、親父を「少々困ったちゃん」リストに入れて、熱心な新役員がなんでそうも「こまったちゃん」なのか、調べてわかった。
(おばちゃんネットワーク、怖し!)
子育てにおびえているだけの人だったか、気の毒に、男で地元の人間でなければ相談する相手もいなかっただろうに、
学校の情報を持っていなかったんで、何を見ても「おかしい」「間違ってる!」だったろう。学校にもしょっちゅう文句を言っていたそうだ。
確かに間違ってるところは大いにあるしね、父子家庭の親父も瞬間、見ただけでは本当に「モンペ」って感じだけど、裏には色々事情があった。
テレビドラマでおもしろおかしく強調しているようなことを「真実」と信じている人間は、確実に「痛い」、
ドラマは「ウソ」の世界だよ、ドラマでよくいる「若き天才外科医」なんて、20代では「ありえない」、それがわかってないのと同じ。
「モンペ」ネタの実情は簡単に「勧善懲悪」とはならないはず。
調べればどうしようもない現実が見えてくる、そういえば「困った親は困っている親」と書いていた先生もいたな。
モンスターペアレント!」と他人にレッテル貼りをして悦に入ってる人間は人を理解することの出来ない己の無能力を
見せつけていることに気がつけない、気の毒な人たちだ。
「モンスター」なんて言葉で他人から顔を奪う行為をしている人間と「誰でもよかった」と他人の命を奪う人間は
「根」のところでつながっている気がする。「問答無用!」と他人に自分が持ってもいない「力」を振るいたがっている。
自分自身に対する深い絶望がそれをさせるのか、それでも殺される側、レッテルを貼り付けられる側にはとてつもなく迷惑だ。
もっとも、いざというときに「モンスター」にでもなる「覚悟」がない人間にまともな子育ては出来ないけれど。
ところで、本当に力のある人はその力を振るうことをおそれると、あるところを見て思った。
そうでなければ人を導く立場にはなれない、そういう人がいるのだからまだこの社会はそう悪くないと信じることにしよう。