雑談。

「女子校出身者は子供を女子校に入れたがる」という内容の記事を読んで、
これは結局は自分の知っている世界にしか子供をやれないということかな、と。わからないものね、行ったことがないところは。
「公立中学ではひどい目にあったけれど、高校はパラダイスだった!」とは、質の悪い中学からそれなりの進学高校にあがった子供誰もが思うことで、
多くの支持を得ていたブコメでは女子高であるよりは、偏差値の高い学校に行ったせいではないか、と、
例えば共学校でも私と娘たちの母校である元旧制中学である高校は、「バンカラ」を旨とする学校なので、基本的に男女同権、
むしろ昔から女子の方がやや強い、「勉強ができるものが指導をする!」の完全実力主義だったので、成績が良ければ女子が主導権を持つ。
書き手が「共学の女子は男の子への甘え方を知っているような気がする」というのはやはり思い込みかな。
もし、男子が多い所に行った女子が男子の使い方を覚えるのなら、
今も女子トイレが職員用トイレと共同が珍しくない高専出身の数少ない女子がそうなるはずだが、むしろ、彼女らは非常に「自立」しているな、
もともと「自立」を目指していく女子が多いのもあるだろうが。行かせてみないと、わからないのよ、多分。
書き手のプロフィールを知らないので、既婚者なのか、それとも未婚か、読んだ限りでは、少なくとも子供はいないんだろうなぁ。
記事を読みながら「も〜しも〜、わた〜しが〜家を〜たてたな〜ら〜」の歌を歌いたくなった。
「エア」理想の子育て論でもあるからね。
もしこれから子供を持つなら、その前に多くのクリアすべき事柄があるので、多分、この手の記事は書けないだろうな、
増田の「女子高の話をしたがる人はどちらかといえば、かなり昔の人ではないか」の指摘は正しいと思った。懐古談的。
私は、高校まで完全公立共学校で育ったので、私立の女子大に進んだ時、世の中にはこんな世界があるのだなあ、と感心した。
そこは完全に「きれい!」至上主義の世界で、「1に「きれい」2に「きれい」、3、4がなくともとにかく「きれい」」が価値観だった。
「その子、きれい?」が判断基準、「べんきょうができる」などは「なにいってるの、あなた」の世界、かずのうちにも入らない、
付属の女子中高があったので、女子校出身者の方が男の子に頼るすべを知っているものだと、考えてしまった。
お嬢様度は高くても、偏差値はあってなきが如くのミッションスクールだったので、やはり「偏差値」の問題ですかね。
「男の子は、私に尽くすためにいる!」の考え方が息をするようにできる女子大生はいましたな、今はどうなのかな。
残念ながら、娘は二人共、男子がはるかに多い大学に通っているので、ますます「ガテン系」になりつつある、
「男の子には「女子大」という選択肢がある!」と二人とも言ってる今日この頃。いろいろですな。