日常。

30代前半で、私はこの先、他人に本気で腹を立てることはないんだろうな、とある日突然思ったことがあった。
実際、相手に「腹を立てています!」を示すことはそれ以降していない、というか、する必要性を感じなくなった、
要は他人に期待がなくなった、ってことだろう、それはそれで楽ではあるものの、私はそれ以来何かを失った気がしないでもない。
ネットでもの書く理由の一つに、「怒りをあらわにする」の目的があって、その目的はほぼ常に達成、
それでいながら、「本当に怒る」ということは実はないんだわ、私は一つの「感情」をなくしたんだろうと思う。
とは言うものの、常に怒りは個人的なもので、実は社会的には何の役にも立たない、
それがいい年になってもわからない人間がこれほど多いとは、とネットを見ても現実世界でもよく思う。
怒るよりも、目の前に起こっている自体にいかに早く対応できるか、を考えず、感情に溺れる、それを自己愛と理解する人のなんと少ないことか。
子供関係で、腹を立てる人は多いが、さて、その先は、そのはては?は、が見えない、ネットの自称小学校教師でもそうなんだからなあ、、
私は、先日発見された子供の遺棄、死亡事件も、手遅れになる前に、なぜ手が打てなかったかを考えるとき、
おそらくは親が「叱られる!」を恐れたからなんだろう、と思う。
「そんなの論外だ!」と思われる人が多いだろうが、そういう「親」がかつては「子供」で嫌というほど誰かに「叱られて」きた、
誰かから叱られるのを恐れて、子供の危機を隠してしまった、そういうことなんじゃないのかな。
「なんと馬鹿な」と思われるだろうが、親からも周囲からも叱られて育つ、ってそういうことだものね。
だから怒っても仕方がない、どこかで何かを断ち切らないと、何も終わらない、
「子供は褒めて育てよ」と喧伝されているけれど、「親も褒めて育てよ」が正しいと思うわ。
ま、その「周囲」を育てるのも、怒りをあらわにすることではないだろうね、人は怒りでは育たない。
というのがしみじみわかるのが、子育てをほぼ終えたあたりであるというのも虚しいわ、、、(涙)
先日、カートに子供を乗せる手伝いをして、その若い母親の顔を見た時、ひょっとして、この子は上の娘と同じくらいじゃないか、
とすると、この子のお婆ちゃんは私より年下かもしれない!なんてことに、よろりとした私、辛いわぁ、、
なんだかんだで、来年からは社会人の母ちゃんになる予定。で、今は大学生二人の母ちゃん、何もかもがめまいがするほど早いわぁ、、