「高学歴女子」の不思議。

最近よく耳にする「高学歴女子」という言葉なんだが、これを聴くたびに脱力する。
例えば、その「高学歴」とする大学に、一体毎年何人の学生が入学するやら。
全体で見ればパーセンテージは低かろうが数はそれなりに居る、それは昔から変わることがない。
多分「エリート」というのは、何回も何回もふるいにかけられ振り落とされずに残ったもので、
振り落とされる方が絶対に多いのは間違いが無いんで、
今更「高学歴女子の貧困!」なんて言われても「はぁ?何言ってくれちゃってんの?」としか思わない。
つか、「女子」を売りにするのは昔からのワンパターンでまだしも
「貧困」とタイトルをつけられると、これは新たな「貧困ビジネスか!」と言いたくなる。
いい年して自らを「高学歴女子」と自負する人間が「貧困」がなんであるのか知らないのか、と
正直、そのおめでたさぶりに泣けてくるくらいだ。
本物の凄まじい「貧困」を知らずして「私たちー、貧困よねー」と言い合うとは、エリートごっこにもほどがある。
学歴が金を稼がないのは、大昔からさほど変わらないことで、
また「海外ではー!」とよくなんちゃって高学歴者は言いたがるが、そんなに海外がいいなら海外に行って稼いで来いよ、
結局それすらもできない、高学歴という「タグ」にどこまでもしがみついて、そこから金を搾り取ろうとする、
その情けなさがより高学歴の無意味さに拍車をかける、もう本当に、勘弁してくれよ、と親の立場ではそう思うわ。
私の娘たちは学歴は書かないが、世間で言えば、二人共まごうことなく「高学歴女子」に当たる。
だから将来金を稼ぐだろう、と親である私たち夫婦はかけらほどもは思っていない。
むしろ、辛い世界に旅立たせたなあ、という後悔すらある。
「エリート予備軍」に数えられるとは身を削って社会のために何かをしなければならないから。
でもそれが高学歴を得る人間の義務でもある。
「金が稼げない」?「プライドが保てない」?「高学歴」ってそんなもののために存在するものなのか。
バカバカしい。本当にバカバカしい。
何がしたいか、どう生きたいか、それすらもはっきりしないまま、大学で漫然と過ごして、社会に出ても何もわからない、
ただわかっているのは「高学歴である私にふさわしい仕事に私がつけない」だけ。
それが「女子」であればそこそこの「ウリ」になる、ほんま「女」って「売れる」商売よね、と、
一定の数がいれば、少々問題のある人間も必ず出てくる、
それを殊更に取り上げて、全体に広げて「実はかわいそうな高学歴女子!」とされるのが
本当に日夜人の何倍も努力し続けている「高学歴女子」のためになるのかどうか、私は大いに疑問だ。
女の足を引っ張るのは、結局やはり女なのかね、はてなのホットエントリーを読むと、後悔することが多いわ。