雑談。

村岡花子本を読んでいるうちに「アンのゆりかご」が欲しくなって本屋に行くと、なぜかそのタイトルを使ったムック本しかない。
「アンのゆりかごから」なんて絵本もあるのを見たわ、私がよく行く本屋の民度の低さよ、、(涙)
写真を多用した関連本を立ち読みすると、やはり夫婦愛についての話があって、
でも私は病妻を捨てて若い女走る男というのはあまり信用する気にはなれないな、
ただ、それがあるから男女関係が異様に盛り上がるのは事実。うっかり若き日の恋文なんか残しておくものではないですな。
ちゃらっと身内にばらされる、孫は侮れない。
私が持っているもう1冊の河出本、森茉莉版の略年表と村岡花子のものを読み比べていると、森茉莉の方はさすが森鴎外の娘、
村岡花子より10歳年下であるにも関わらず(?)、当時の女学生の王道、「16歳でお嫁に行く」をやっていて、
考えてみれば、「英和」がつく華やかなお嬢様学校でただひたすらに学問に精進した村岡花子は26歳でようやく(当時としては)
結婚するにふさわしいと思われる相手に巡り会えたのは僥倖くらいの勢いだったのか、理性が髪の毛のように簡単に抜け落ちるのは理解できるわぁ、、
で、いろいろあってもその結婚を全うしたのは「偉い!」のかもしれない。ただ、やはり、その結婚の後ろで理不尽に泣かされる人がいるのでは
「私の新婚生活はぁ、、」なんておノロケ話を残す場合じゃないだろう、花子!とは思うなあ。
多分、私はカソリック系の大学で多少宗教を刷り込まれているので、この手のことには少々厳しい。
村岡夫婦はプロテスタント系かも。関係ないか。
「アンのゆりかご」はキンドル版でならすぐ手に入るので、どうしようかな。
ところで、なんだかんだで出る機会が以前より増えてバタバタしている。
子供がいないとなると、いつでも出られるし、時間もあるでしょ、的なお誘いはありがたいような、戸惑うような、
おかげで子供がいない寂しさを感じることもない、こともないかな。
外出先で珍しいもの、美味しいものを見かけても「食べるのは私だけかも」となると、買う気になれないのは不思議だなあ。
時間を使うにしても、自分のためだけ、というのはあまり楽しくはない。
「自分のためだけ」になにかをする、というのは贅沢であると当時に、どうしようもなく貧しいことでもあるのかもしれない。
幸福で贅沢な時間は長いものではなかったな。