雑記。

朝日新聞荒俣宏森鴎外史伝の書評があって、この著者の小堀桂一郎とは、鴎外の縁者かとネットで調べてきたがそれらしい記述はない。
森茉莉の妹が小堀杏奴というので、孫ぐらいかと思ったんだが、年齢が合わないな。さて。
少子化問題では相変わらず「産みたくない」人が「産みたくても産めない」人を「盾」に使っていて、いやー、そこまでして自分を守りたいのはなぜ?と思う。
私の知る限り、「産みたくても産めなかった人」が「産みたくない人」と「同じ」にされている事を知ったら激怒するな、
それくらい産みたいのに産めなかった悲しみは深い。
当時は、そんなに思いつめなくても、と思ったが、今にして思えば私もわかっていなかった、と反省する。
周囲で不妊治療をしている人は思いのほか多かったが結局、産めなかったのは彼女一人、治療って世間一般で思われているよりずっと効果がある。
どうしてもダメだった人の辛い話ばかりが宣伝されるけどね。
ダメだった彼女も、その原因であった夫がもっと勇気を持っていれば大丈夫だったのかもしれないのに。そのことは今も時々言う。
それでも「見捨てるわけにはいかない」で再々別居しながらも結婚はしている。人はずっと揺れ続けるなあ。
しかし産科医療崩壊のさなかであっても、大学病院から「新しい治療法があります!」と何度も連絡を受けたという、
この医療関係者の不妊治療に対する熱意がすごい、と今も思う。
当時、彼女は「人の不幸を喜んでいるように思えた」と言っていたが。「人の不幸を実験台に見ている!」と、
でも、今は「それに乗ってみても良かったのかも」なんて、乗る人がいたから治療は前進するんだろうね。
なんにしても「産みたくても産めなかった人」と「産みたくない人」は根本的に違うので、「同じ」と言って盾にしないほうがいいだろう。
でも「同じ」と主張するのよね、、なんと乱雑で暴力的であることか。