雑談。

「ざいとくかい」なんてことばをみると私は逃げるようにしているので、どのような暴挙が行われたか見てないけれど、
結局一人の意見の違う人間をよってたかって力を振るう、それを「正義」と信じている「とんでも」であるのはわかっているので、
同じようなことを別のサイドにいる人にして欲しくない、と願うばかり。
ネットで、叩いてくれ、とばかりにとんちんかんをブクマコメントに書くお馬鹿さんを、集団で「言葉」で叩くのはいかがなものか、といつも思う。
増田で「離婚」ネタが挙がっていて、これはいわゆる「釣り」じゃないのか、と思ったり。
最近の若者は結婚式をしないらしいからなあ、ましてや学生同士だしな。
とはいうものの、したければ結婚しようが離婚しようが本人たちの自由なんで、「俺は別れない!」と離婚を拒否されないでよかったね。
ブクマコメントで「出産」に関する言葉を見かけて、私は「結婚しても子どもは欲しくない!」の主張は果たして有効か?と考えたことを思い出す。
二人で一致して「子どもはいらない」ならばいいんだけれど、一人が「欲しくない!」を主張して、もう片方がそれに引きずられる、と言うか、
あきらめさせられる、のは「結婚」としていかがなものか、と、実は今でも思っている。
「結婚したけど、産みたくない!」の「女性」の話はネットでもよく見かけるけど、
現実生活で、私は「結婚するけど、子どもはいらないよ」の「男性」を「3人」も知っている。
ネットでその手の男性を知らないのは、読むところが女性が多いせいか。
現実には、若いときは出産にピンと来なかった女性側が、だんだん欲しくなっても「それは契約違反」
と言い放った男を知ってるんだよね、「産む権利」とはこの手の人間に対抗するためにあるのか、としみじみ知ったなあ。
こんな男性が女性のためになんの役に立ってるのか、私のように結婚する前から「うみたい」人間にはさっぱりわからんが、需要はあるんだろう。
私は「産まない権利」を推奨するし、それを女性が手放してはいけないと知っているものの、
それでも「結婚したけど、子供は産みません」の女性は「子どもはいらない」と言ってる男性同様、
結婚した相手から子供を持つ「選択肢」を奪ってるんだよな、これはやはりどうなのかなー、と考えたりする。
子供の産めない体の女性が、一番精神的に辛いのは、相手からその選択肢を自分の存在が奪ってる、の現実だと思う。
「私がいらないから、あなたもいらないはず」という強引さを「結婚したけど、子どもは作らない」と宣言する女性にうっすらと感じることがあって
「結婚は両性の合意に基づいて」と、言いつつ、本当に子作りに関して「合意」が形成されているのかどうか、
全ては「藪の中」か。
「子供は産まなかったけど、産まないと愛されないあなたより私は「女」として上よ」と言うのも、ありかもね。
不妊治療を何年もしたことを隠して、結局「欲しくないから産まなかったの」と公言している人もいるからなあ、、、
ひょんなことで、それを知ってなんとも哀しい気分になったこともある。
乗り越えられない壁は「なかった」ことにしたかったんだなあ。それほど傷は深い。子作りに関する精神構造は難しいわ。
「出産のタイムライン」の言葉から、ふと思いついた。人間って、難しいわ。
最近、亀井静香ちゃんをよくテレビで見かける、今も、テレビで話してる、よく話す人だなあ、、、