雑記。

我が家の娘たちに人気の「乙男(オトメン)」は秋から時間を変えて放映されるらしい。
この「オトメン」は剣道部が舞台となっているらしく、中学から「にわか剣士」となった娘たちが頻繁に出て来る剣道シーンで
「型がなってない!」といちいち、つっこみを入れている。
特に女の子が「なってない」らしい、でも面をつけると、急に「まとも」になるらしいんで、中に入っている子が違うのかも。
剣道を娘二人にさせたことについて、理由はいくつかあるのだけれど、
今、やらせてよかったと思う一つは、世間には「型」のある世界が存在するのを娘たちが知ったことだ。
我が家の二人が受けた公立義務教育では驚くほど「型」の存在を教えない。
「型」とはなんであるのか、定義して説明するのは難しいのだけれど、「型破り」になるのは「型」がなんであるかを知らないと出来ない、
本田由紀さんが以前著作の中で「努力もまた習得すべき技術である、」と言われたのと同じく、
私は「自由」もまた習得すべき技術の一つだととらえている。「自由」とは何か、一番よくわかる方法は「不自由」を知ることだと思う。
「型」は果たして「不自由」なものであるかどうか、ある意味大変「楽」なものであるのも事実、そして「型」の中ですら「自由」に動くことは出来る、
そういう現実を体で覚えて欲しいと、その意味で剣道を習わせたことはよかった、やってる最中は文句ばかりではあるものの。
上の娘は警察学校を通じて「八段」の人と知り合う機会があって、「八段の人に握手してもらったー!」と騒いでいたことがある。
無条件にあがめられる「存在」があるのを知ってくれたのは大きいと思う、世の中の全ては言葉で簡単に否定されるのだから。
それでも、言葉をあえて発せず、なお、語りかける「何か」が「ある」ことを娘たちはいつか気がつくと思う。
そう思うのは親の自己満足だろうが。
たいていの親が子どもにやらせることは言葉にすれば陳腐なもので、いくらでも否定が出来る。
それでも、竹刀を握り、防具を着け、相手と向かい合った経験は無価値ではない。娘たちはそれを無価値にすることはないだろう。
今のところは「オトメン」につっこむ程度のことしかしていないけれど。
剣道大会に行ってみていると驚くほど「型」の中でも子どもの個性が見えてくる。「型」の中できれいに動く子もいたり、「型どおり」に動く子もいたり。
昨夜、剣道の世界大会のドキュメンタリー番組があってダーリンが録画してくれた、今日見る予定。
ところで、昨日自民党総裁に谷垣氏が就任。やっぱり、という感じだなあ。