雑記。

「産まなくて本当に後悔しないか?」の問いかけに対して、
「産めるけど、産まない」を選択した女性には、年をとっても「後悔」をする能力は「ない」と私は見ている。
人生を半分終えた時点で「後悔」するのはかなり大変なことで、「子どもなんていらない」人に「出来る」とわたしは思わない。
特に「結婚」をしていたとしたら、「子どもはいらない、でも一人では生きられない」人なのだから
そういう弱い人間に年をとってからのこの手の「後悔」は、たぶん、出来ない。
「産まなくて本当に後悔しないか?」の問いかけは、本当に心優しい問いかけで、それが出来る人を私は尊敬する。
それを言った側を、確実に「産みたくなんかない!」側は傷つけるように、持っていくでしょう?
「そんなことはいわれたくない!」と「プライバシーに踏み込むバカ女!」と決め付けられるのが関の山、
なんでそんな人間に将来の後悔まで思いやってあげなければいけないか、
本当はこよなく心やさしい問いかけに「後悔するのかな?」と一瞬でも考えられる人は、たぶん子どもを作ると思う、
でもそういう人は、結婚しても「子どもなんて欲しくない」を言う人の中にはいない。
いつまでも自分自身が恐れているものから逃げ続けるだけ、
たぶん「逃げる」能力だけは発達しているだろうから、「後悔」からも逃げられるんじゃないかな?それでいいんだと思う。
人間というのは、年をとると図々しくなって、自分のしたこと、選択してきたことをとりわけ肯定的に受け入れる様に出来ている。
「選んで」子どもを作らなかった人間は「こんなひどい世の中に、子どもを残さないですんで良かった」と、たぶん、思うようになる、
それを悪いことだとわたしは思わないんだけど、でも、ひとつだけ不思議なのは、結婚生活が続いていて、配偶者の最期を看取ることまで視野に入ってきたとき、
「この人の子どもを作らないで本当に良かった」と思えるのかどうか、
そこまで相手の「生」を否定できる人間が、なんでそんな相手と生涯をともに出来るのか、
これは「女」だけにいえることではなく「男」にしても「この女に子供を産ませないで良かった」と思えるのだとしたら、
根本的な部分で「生命」への理解が欠けているんじゃないか、「愛」への理解も本当のところ、出来ていないんだと思う。
それでも(それだから?)「さびしい」、だから人のぬくもりは求める、「結婚」という「かたち」にもこだわる、
でもたぶん、本質的に「愛」は理解できないまま、「後悔」すら出来ないまま、一生を終える、
知らないことも知らないままにいる幸せもあるんだと、わたしは思う。
相手をどこまで「信頼」できているか、「命を作る」という行為の中には含まれるように思う。
そういうことから目をそむけ続ける人生も、また、人生。
「世界はどんどん悪くなる」という意見が決してなくなることがないのは、人の世界が続いていくことを憎悪する人間が少なからず、いるからかもしれないなあ、、、
「産まないで本当に後悔しないか?」と考えられるのは、本当にやさしい、
私はそういう問いかけを他人にしようとは思わない人間だから、ステキだなあ、と思ったのでした。