考え方、感じ方。

先日、朝日新聞の特集「リスク社会を生きる」でとりあげられた69歳の自己憐憫たっぷりのばあちゃんを、記者は、どうやって見つけ出したのか不思議だったが、
私がこのばあちゃんを不思議に思ったのはもうひとつ、「70歳」を目の前にして「お友達」はいないものか?と言うことだった。
私のまわりにいるこのくらいの年のばあちゃんたちは、実に楽しげにより集まっているのよね、まあ、私の実家の母親世代なんだけど。
お金は、老人施設に入ろうと用意した資金の一部が「2000万円」というこの69歳の「老婦人」(と、言い換えておこう)ほど、
みんな持っていないのだけれど「おばちゃん(ばあちゃん?)ネットワーク」的な恐るべきパワーを持っている。
70前後にもなれば、それぞれ、子どもとかその配偶者と不仲だとか、ダンナと別居中だとか、そういうのは「当たり前」の世界になっていて、
でも「本音で話し合える人間が誰もいない」と朝日新聞の記者に泣きつくような人は誰もいないなあ、それは私のまわりだけなのか?
たぶん、私の実家の母親なら、そもそもたった一人であったとしても、元旦に1泊二日の旅行に出られて皇族見物にいけたとしたら、
「一人で旅行に出られるだけの体力とお金があって幸せだなあ」などと、のんきに考えるだろう、その程度に「したたか」に年をとっている、
年をとる意味ってそこにある気がするんだよな、「悪い方に物事を受け取らない」、それが「古希」をむかえる人間のあるべき姿に思うけれど、
かの老婦人にそれが出来ていないのは、とても幸せに年をとってきたという気がしないでもない。
苦労続きだと、他人に期待をしなくなるのが当たり前だもの、でもこの「今年、古希」の老婦人は、まだいろんなものに「期待」する、
娘が「他人」であるというのは「実の親子なんだから」で納得できないかもしれないが、「他者」であるのは確実、
娘さんは、それまでさぞかし、母親である老婦人の期待を裏切らない人生を歩まれていたんだろう、私なんかは、期待を裏切りまくりなので、
たぶん、母はあまり私に期待していない、だからそれなりにうまくいっているのかもしれない、ごめんね、期待ハズレの娘で。(涙)
なんにしても共感できない特集で、その「リスク」なるものを若い世代と重ね合わされては、どうもとんちんかんなことを言われているようで、納得できなかった。
ま、私自身、70前で2000万円以上の自分の自由になるお金を持っていたとしたら、
娘夫婦と無理矢理暮らすより、娘の家の近所に住んで、時々孫の面倒を見たりして、ほどほどに感謝される生活を選ぶな。
お金をある程度以上持っていて、それでも「リスク」があるかな?まったく不思議。
考え方、感じ方、っていうのは人それぞれではあるけれど、あまりにも繊細すぎる人間を取り上げてしまわれては、
「あんた、アホですか?」と言いたくなってしまって困るなあ。
そういえば、現在大学生の娘に時々「これからの若い人は大変だから」的なことを言っていると、
「ずっとそういわれて育っているから、本当に大変かどうかわからない、大変って状態にもうなれてるかも」と
イマドキの若者の反抗とは、「絶望せよ」と言って聞かせる年寄り世代に「僕らはやはり希望を持つ」と、やんわりした態度で反抗している気がする、
そういう反抗のしかたが、私はとても好きだったりする。若くても、年をとっていても、明るく生きることが大切なのよ。