雑記。

先日から自殺した角田元被告の事件の公判が始まって、新聞を読むとやりきれなくなる。
よくまあ、こんなに殺されるまで放置したものだなあ、と、
以前、烏丸せつこの怪演で話題になったNHKの再現検証ドラマを見て、暗澹たる思いに駆られたのを思い出す。
いやー、怖かったわぁ、烏丸せつこ、、ではなく、角田元被告。
他人を徹底的に追い込む手法は尋常ではなく凄まじい、でもそれを助長、増長させる雰囲気も周囲が作るのよね、
決してその雰囲気に染まらなかった、それに抗った「まとも」な人たちが殺されていったのよ、
一度は逃げたのに、運転免許の書き換えで張り込んでいた「自称・親族」に捕まって連れ戻された挙句なぶり殺しにされた若い女性が
本当に気の毒でならなかった。
今も気になるのが、その事情のある彼女と寄り添って生きていた若い女の子たち、
彼女たちは、強引に連れ戻された女性を助けようと何度も警察に足を運んだのに、取り合ってもらえず、
こうしたことで、決して親族に恵まれているとは言い兼ねる彼女たちが行政に対して不信感を抱いてしまうのは当然だ、
彼女たちに助けが必要な時、一番助けなければいけない機関が信用されないのでは救いがない。
若い女性が関わる深刻な事件が起こったとき「どうして行政機関に行かなかったの?」とは簡単に言えるが
それが「できない」事情も理解されるべきではないかと思う。
「行政の役割」を信用するのは、ある程度以上、信頼できる大人がそばにいた子供たちだけかもしれない。
大阪2児遺棄致死事件の概要が冊子になっているようで、読んでみようと思うものの、「信用」とはなんだったか、が
理解できなかった哀れな子供の末路と思うと、気持ちが沈む。「見捨てられる」は本当に悲しい。