雑談。

はだしのゲン」の話題が出て、あれは学校で唯一、堂々と読める漫画だったのに、と思い出す。
同じ理由で二人の子供たちも読破。特に下の娘は「全巻制覇!」を自慢する。
ママが子供のころはまだ全部揃ってなかったんだよっ!
はだしのゲン・全巻制覇」は小学生が必ず目指すことらしい。でも、大抵が挫折。まあ、そんなものよ、、
私は、ゲンが自分の家族ソックリの人たちに出会うところぐらいで記憶が途切れ、
今、覚えているのは、昔は「米をつく」と、一升瓶に米を入れて棒でサクサクやってたこと、(これは別の映画とかでもよく見た)
それから原爆が落ちたあと、「桃」を自分の家族と思われる遺体の口に誰かがくわえさせた場面、
「食べる」ことしか残ってないなあ、、私は欠食児童か、何を読んでも、大体覚えているのは「食べ物」関係。トホホ。
でも、原爆は「夏」だったんだな、当たり前のことだけれど、「桃」で実感がわく。
結局、そんなもんなんだよね、問題になった表現なんて、「そう言うのもあったような、、」程度の記憶で、
それを読んだからといってそこだけが残るわけではない。
子供の多様性がわかっていないらしい文句を言ってきた人間は論外だが、それにいちいち反応する教育委員会は教育に携わる人間としてどうなのか。
とはいうものの、トンデモが教育現場に踏み込むことを懸念したか、なんとも後味が悪い。
文句を言ってきた人間の子供が「はだしのゲン」を読んで、トラウマになっていま精神病院に通っている、
とか言うのなら、多少は気の毒に思わないでもないが、そういう子は何を読んでもどうにかなりそうだ、という可能性を
それとなく教えてあげるかも、何を読んでも大丈夫な子が多いんだよ、世の中は。
なんとなく「風立ちぬ」批判で「ゼロ戦批判が描けていない!」を言う人にも、「はだしのゲン」批判に似たものを覚える今日この頃。
表現の自由」を根本から問い直さないといけないような。
「あったもの」の批判と「なかったもの」の批判ってあんまり変わりがない気がするな。