雑談。

「東京人の嘆き、、」という前後編を読んで、「中学の卒アル持って来い!」ってところで私には真面目に読むのは終わった、、感が。
「大都会東京!」の大学に地方から入った娘いわく、東京出身者には「いつまでも中学時代のイメージで友達を扱うやつがいる」と、
それは、田舎のヤンキーがいつまでも中学時代の「上下」関係にこだわっているのと変わりがないのだよね、
いい中年になっていても「あいつは中学の時には、、」な話をしたがるのは田舎のヤンキーの専売特許じゃないのね、
でも、どうやらその話が「文京区出身!」だと「おっしゃれー!」らしい。
IDコールで、東京人が地方に行くのは「都落ち」で「海外に行くぐらいしか、、」と書かれて、地方って馬鹿にされてるんだなあ、
行ってみなければわからないことは必ずあるし、それで知ったことは決して人生にマイナスにはならないのだけれど、
行ってもみないで「地方に行くのはダメになったことだー!」とは、都会に生まれ育つとは自分は「貴族」である、ということなのか。
「海外に行くしかない!」とは、なんだかもうねえ。
娘が大学で友達になったのは、自分と同じく地方出身者、
東京で生まれ育って、親元から一歩も離れることない人たちとは見えているものが違う、だから、親しくなることはない。
彼らの世界は最初から閉じているのだよね、成人する前に完結して、外に開く必要がないのだから。
自分の狭さを認識することのない、幸福と、不幸を考えてしまうなあ。
住む地区や受けてきた教育にかかわらず、バカはどこにでもいる、というのはこの年になるとしみじみわかる。
階層だ、低学歴だ、の問題ではないのだよね。
人間って、狭い範囲での狭い価値観に縛られて、それで必死になるのが、結局は幸せなのかもしれないな。
それでも、狭いところを狭いと考える権利はあってもいいと思う。
それにしても、東京人は地方を馬鹿にしているのがしみじみわかる情けないエントリだった。
そんな人ばかりではないでしょうにな。