「子供がかわいそう」、を考える。(終わり)

小梨さんの「自分に育てられる子供はかわいそう」の話に戻す。
子供を作ることを「かわいそうな自分」の「再生産」と考えられるのは違うんじゃないか、が私の意見だ。
また「かわいそうな自分」という自己憐憫は自己愛の一種だし、それでは自己の分身としてだけ、
自分の子供を欲しがる、持つ、くだらない人間の自己愛とそれほどかわりがないことになる。
「子持ちの女に「分身」がいないかわいそうな自分が批判されたー!」と
「被害妄想過多」の人間と同じになる。
「子供が持てないこんなにかわいそうなおれ様」と、自分が気に入らない人間の子供はかわいそうだ、などと
訳のわからない理屈を述べ立てる人間は、では、彼を気に入らない人間が彼に子供がいないのは幸いだ、
と考えても「当然だ」と決してならないのが私としては非常に不思議だ。
(追記;念のために。私はその彼が「既婚者」だったなんて全く知らなかったので言い返したんですが。
彼は「被害者」でありたいためだけに「知っていたはずだ!」と「嘘」を書いてますけど)
自分の権利は主張しても相手のものは認めない、「子供がかわいそう」と安易に言う人間は「独善」そのものだ。
さて、小梨さんの「かわいそうな子供を再生産しないために子供は産みません」とは謙虚な意見にも思えるが、
では子供を産んだ人間すべてが「かわいい自分の分身を作ります」と思っているだろうか?
あるいはみんなが「国の宝を産んだ!」とハイテンション状態か?
この国は、「人」を「宝物」のように扱うほど「美し」かったっけ?
派遣やパートやワーキングプアに満ちあふれているのに?
私は「国の宝を生み出した!」なんて、正気でいれば考えたりしないと思う。
子持ちの人間はどこにでも子連れで出かけていけるか?職場に子供を背負っていけるか?
そんなことは不可能だ。子持ちは常にハンデを与えられているようなもんだ。
そのあたふたと小梨さん達にはきっとみっともなく見える姿を見て余計に子供にうんざりするんだと思う。
「育てるってあまりに大変そうで、私には出来ない、、」と思っても仕方のないことだ。
「何が「国の宝」だ、セックスの結果の云々」という小梨男のルサンチマンがブクマを集めているのを読んだが、
おやまあ、「桃」から生まれた「桃太郎」さん達がこんなに、と私は感心した。
ご自分達は何から生まれてきたんだろう?
確か初めての試験管ベビーがついこの間出産した、のニュースを聞いた気がするが
あれは英国だったんじゃないか。セックスの結果でない子供は日本でまだそれほど多くないような、
そして既婚者は、清らかな「白い結婚」でもなさっているのか、そりゃー子供は出来まい、と
まあ、そう言う人は自分のセックスは「特別」に「すばらしい」と考えていらっしゃるのかもしれないが。
だから子持ちはみんな「子供は国の宝だ!」なんて考えてる!と思われるのだろう。
馬鹿馬鹿しい、子蟻であっても小梨さんの叫びのわかる私が、
「国の宝だ」と相手に自分の子供の価値を押しつけたりしない。
相手がかけがえのない存在であるように私も、私の子供もかけがえのない人間だ、と言ってるだけの話だ。
そして「私の子供」であっても「私自身」ではない。
それがわからない人間に子供を持つ「資格」があるかどうか。
小梨さんの「自分の子供なんて、、」(本気でそう思ってるのであれば)の爪の垢でも煎じて飲め!と思う。
「子供がかわいそう」の独善は「コウノトリのゆりかご」の「子供がかわいそう」にもつながる。
人が生まれてくるのに「資格」はいらない。
コウノトリのゆりかご」から出てきても「かわいそうな子供」ではない。
その見下し視線、いい加減にしろ、と思う。
確かに、親になるのに「資格」は必要かもしれない。
だからその「資格」があるかどうか常に迷い、苦しむから私は「子供がかわいそう」の言葉に深く傷つく。
それでも子供は育てていかなければいけない、「国の宝」なんてかけらほども思わなくても。
国に使い捨てにされる人間になるかもしれなくても。
小梨さんのこの国に生まれてくる子供はかわいそうだ、の気持ちは子蟻でもわかる、
でもかわいそうだ、で終わるわけにはいかない。子蟻であるから。
その責任感のどこまでが子供のためになるのか未だにわからないから、
愚劣な人間が気に入らない「私」の「子供」であるから「かわいそう」なんて馬鹿げた意見とわかっていても
私は自分の心の「傷」を見つめ続ける。膿むことがないように。
「私」の「子供がかわいそう」の卑劣な罵倒に過ぎない言葉を分解し、その不快感の理由を探る。
「私」の「子供」の「値打ちを押しつけられた!」の被害妄想の奥底にある強烈な自己愛を持つような人間に
「私」の「子供」がなって欲しくないから。
「子供がかわいそう」の、それを言う人「だけ」を「いい人」に見せる「偽善」を
子供が見抜けるようになるためにはどうしたらいいのか。
「子供がかわいそう」から派生して、「親の資格」も考えてみたいと思う。
私は時々小梨さんが小梨のままでありたいのは
「親の資格」のハードルが世間であまりに高く考えられすぎてるせいじゃないかと思っている。
そのことも併せて考えたい。