「子供がかわいそう」、を考える。(脱線編)

どうも子蟻の私が小梨さんと子供を結びつけて書くとなんだか「産め、産め」と
プレッシャーをかけているようで自分でも、困る。
私はさして子供が好きでもないのに、周りから非難を浴びたくないためだけに1人だけとりあえず産む人もいるのを
知っているので、そんな人に比べれば、世間的にどう思われてもいい、嫌なものは嫌、と
はっきり言う小梨さんに好感を抱いている。
他人の「子供がかわいそう」と安易に言う人は本当に子供好きなのではなく、
自己保存のための「自分」の子供が必要で、子供を「好き」なふりをしているだけであって、
たぶん小梨さんに「子供がいないなんてカワイソー」というのはその手の人間ではないかと私はにらんでいる。
本当に「子供好き」なら子供の悪いところも漠然と知っているので、
小梨さんが子供を嫌いなわけもわかるんじゃないか、「好き」なものをよく理解している人は
当然それを嫌う人もいる可能性くらいは考えが及ぶように思う。
私は1人の小梨さんの日記を楽しく読ませてもらって、
いつも大昔はやった伊武雅刀の「私は子供が嫌いです!」と朗々と歌い上げる「コミックソング」を思い出す。
あれは大いに笑えて、そんなに不自然な悪いこととも思わなかった。
小梨さんは何故子供嫌いなのかとうとうと語る権利がある。
そしてそこから私は子供が好きな私にはない色々なものの見方を教えられている。
小梨さんは堂々と「小梨」さんでいるべきだと思う。
ただ婚姻関係にある夫が子供を欲しがっていれば子供嫌いを告白するのは大変だろう。
ふわふわとさほど役に立ちそうにもない男が「育児の手伝いはするから」なんて言っても信用できない、
のは実によくわかる。実際、子供が出来たとたん夫婦仲が悪くなった、なんてため息をつく妻を
私は幾人か知っている。これは有名な小児科医の細谷亮太先生もエッセイで指摘されていた。
子供を持つことでお互いの価値観の違いが顕わになって、取り返しのつかない溝が出来てしまうことがあると、
その溝を埋めていくのが婚姻関係にある男女の義務だが、なかなかうまくいくものでもない。
これはよく話し合っても起こりうることなのでその可能性と覚悟は必要だ。
「こんなヤツとは思わなかった、、」というのは誰にでもある。
小梨さんが実は子供嫌いなのを知らない旦那様も、もしそれを知ったとき、そう思うだろう。
そして結婚生活が破綻してしまうのを望んでいない小梨さんの立場は難しい。
これは、女だから難しいんであって、私の知り合いに夫に
「僕は子供が嫌いだから、僕に一切の面倒をかけないんなら産んでもいいけど、そのつもりでいてくれ」
と言われた人がいる。その人には子供がいた。彼女は1人で子供を育てていて幸せそうだった。
そういう結婚もあるんだなあ、と離婚してないのを私は少しは理解できる気がした。
男は一切子供を顧みずともすませることが出来、そういう男の子供でも産んでくれる女性がいる。
経済的にもどうもその夫は自分の給料を自分のお小遣いとして使ってしまうらしく、
すべては彼女と彼女の実家の援助で成り立っているようだった。
夫として相手が好き(子供嫌いも含めて)、それから子供が好き(そういう相手の子供でも)
彼女は心の豊かなたくさんの愛情を持つ人だったと記憶する。
一般的な常識から見て、幸せかどうか不思議ではあるが、幸せとは自分で決めるものだ。
そして私の知る限り、父親にかまわれてなくても子供はとてもかわいらしいよい子だった。
「子供がかわいそう」なんてのはこういう事実を知っていればどんなに馬鹿げた言葉かよくわかる。
女性が「産んであげてもいいけど、面倒はあなたが全部見て」の例を私は現実にはほとんど知らない。
話には聞いたことがあるが、まれだと思う。
「子供がかわいそう」の考察からだいぶん離れてしまった。
明日に続けます。