「子供がかわいそう」、を考える。(その2)

小梨さん達が時折、ご自分達が子供を欲しくない理由の一つに
「自分のような親を持つと子供がかわいそう」をあげられる。
これは私は酒井順子の「負け犬の遠吠え」で
「美人で仕事が出来ても30過ぎて結婚していなければ女は負け犬」と書いたことに
非常によく似ていると思う。
つまり「私は負け犬」と実際は負けているわけでもなければ自分を負けていると
全く思っていないにもかかわらず、「私は負け犬=弱者」と
決して勝っているわけでもなければ、勝っていると思ってもいない既婚者=「勝者」に見立て、
その情けない既婚者の実態を罵倒し尽くしたような本の書き方に似ていると
こう書くとおそろしい反発がありそうだが、いわば「手法」として考えて欲しい。
実際の自分のプライドは守りつつ、己の身を低く見せることで、子供が欲しくない理由を巧みに述べる。
たいていの人間はそういわれると、なんと言っていいのかわからないのではないだろうか。
「そうね、その通り、あんたに子供を持つ資格はないよ」という人はまれだろう。
もしそれを誰かが言ったとして、それを言う人間はおそらくは人間のくずと周囲に見なされるだろうし、
「こんなこと言われたの、やっぱり私って母親になる資格はないよねえ、、」とため息の一つでもつけば
もうそれ以上何か言う人は(周囲がまともであれば)、いなくなる。
「自分に自信が持てない」と弱音を吐いた相手に、また、セックスが必ずかかわる「子作り」の話題に、
赤の他人はたいてい何も言えないものだ。
私は言葉の底を読みたいタイプなので、自己否定以上になにかあるのだろう、と察して何も言わない。
と、言うか、私世代以下の人間はそれほど他人の子作りを熱心に詮索しないように思うが、
どうなんだろう。
私の交際範囲内でも結婚していても子供のいない30代の女性がちらほらいて、
でも子供のいない理由の問わず語りをし始めたら私はダッシュで逃げる。
非常にデリケートな問題に立ち入りたくないのはふつうだと思う。
それはともかく、子供を欲しくない理由として酒井順子的「負け犬の遠吠え」方式を採用するのは
上野千鶴子さんがお褒めになられたようになかなか上手なやり方だ。
それを採用されるのであれば、もっとそれを応用して「治療したんだけど、、、ふ」とアピールするのも
本当に周りに「子供を産め、産め」とプレッシャーをかけられるのが嫌なら、ありだと思うが
相手が親だった場合、うっかりすれば旦那に「治療先かえたら?」なんて言われて、
旦那が子供を欲しがっている場合、とんでもないことになるのも考えられる。
小梨さんの「産めるけど産みたくない権利を保障して欲しい」の精神は立派だ。
子供の欲しくない理由として小梨さん達は「旦那の子供を産みたくない」と
「なんでそんな相手と結婚した?」と驚くべき告白をされることもあり、
また「自分の子供だと思うとぞっとしてしまう」と深刻な自己嫌悪感を抱きながら
何故結婚が出来たのか、私としては不思議だが、
結婚形態のとらえ方が違うのだとうっすら理解している。(つもり)
私は子供を持つ権利を保障するように持たない権利ももっと保証するべきだと思うので
もっと小梨さんが「子供を持たない方を選びました」と胸を張れる日が来たらいい、と思っている。
しかし、「自分の子供がかわいそう」の思考については「ちょっと、待った」と言っておきたい。
ご自分の「子供がかわいそう」と思うのは、何故なのか。
結婚していても心底「自分はかわいそうな人間だ」と考えていられるだろうか?
小梨さんの「自分のような親を持つ子供はかわいそう」は、
ご自分に「親になる資格はない」と心の底から考えられているのか。
では小梨さんのご両親は親として完璧だったか。
そうじゃなかった、だから自分もそうなる、と考えるのは違うんじゃないか。
完璧な親でなかったにもかかわらず、親は子供のそのまた子供を欲しがる。
しかし子供は、もうこの遺伝子の「連鎖」は断ち切りたい、と考える。
子供から孫まで欲しくて仕方のない親から、全く子供が欲しくない子供が生まれてくる、育てられる。
「教育」の不思議を私は見ている気がする。
親は自分の育てた子供がまさか、こんなにも子供を拒否する人格になったとは
考えてもないんじゃないか。
親の価値観は「子供が自分のように子供を産むのが当然」だが、子供はもう別の価値観を持っている。
どのような親に育てられたとしても、親と同じ価値観を持つわけではない、
故にどのような親であっても必ずしも子供が「かわいそう」となるわけではない、
と考えられないだろうか。
「自分の子供だからかわいそう」は、なにかが違う、と思う。
(長くなったんで、また続く。ちなみに別に小梨さんに子作りを強要しているわけではないんで、
単に「子供がかわいそう」の「言葉」を考察してるだけなんで、ご了承ください。)