「小梨さぁーん」!

と、遅ればせながらがら答えてみる。小梨さんのところが新しいエントリをたてると
何故か「小梨、関連記事、検索」のタグめいた記録が残っていて、rss登録してるか何かの人が
ついでにうちにも来るのかな、と私はアンテナを利用してないんでお知らせはありがたいのです。
私は子蟻で、でも小梨さんの圧迫と同じ、
「理想の母親」に圧迫されるものとして共感を覚えることが多いです。
子蟻になっても同じような「理想の親として」の「正論」で抑圧されるのですよ、
それだったら、嫌なものは嫌、とはっきり言うことが正しい、と私はしみじみ思います。
ディズニーは私も嫌いです、
白雪姫なんかおかしいじゃん、なんで、あんなにあっさり他人の家であれこれ出来るんだ?
と子供心に思った覚えがあります(でも「外人だし」で終わらせた気も、、)
私の友人はシンデレラの意地悪そうな顔が嫌いで、
継母にいじめられてもちっともかわいそうに思えない、とのたまったことがあります。
案外ひそかにディズニーは日本人に嫌われてるんじゃないか、なんちゃって。
ある年代から上の人はディズニーだけじゃなく、
アメリカの文化的なものは無条件にすばらしいと受け入れる「素養」があるんじゃないですかね、
それへの反発も私にはある気がします。
「これが道徳だ!」「これが正しい!」的な圧迫感に「嫌なモンは嫌じゃ」と間違っていても反抗する、
嫌いなものを持つ権利を私たちは有している!と心の叫びを上げるのも正しいことじゃないですか。
私の弟が小梨で、私ら上の兄弟が早くに結婚も子作りもやってしまったんで、
実家の親がそれで弟をじわじわ圧迫するのがすごく嫌で、
別に弟夫婦に子作りを強制するために私ら子供を早くに作ったんじゃなし、と思います。
でも弟はわりと親孝行なんで「姉ちゃん、俺は欲しいんだけど、嫁が、」みたいなことを
言い出さないかと、もしそんなことを言ったら確実に「ぶっ飛ばす」んで弟の話は極力聞きません。
嫁の実家の母親に少々「ココロ」系のご病気が見られて、嫁はそれを心配してるんじゃないか、
それは理解出来るんで、もう子供なんていなくていいじゃないか、と私は思います。
実家の両親も実はそう思ってるんだろうけどやっぱり子供が好きなんで
出来れば末っ子の子供を見たい、と年をとると色々こらえしょうがなくなって、
無理なことを言うわけです、まあ、ひ孫を期待したほうがより建設的なんですが。
嫌なものは嫌、嫌いなものは嫌い、そして何故嫌いなのか追求するこころは全然間違っていません。
子蟻であろうが小梨であろうが同じで、理想であろうが、なんであろうが、
こちらの気に入らないものを押しつけてくるものとは戦ったっていいじゃないか、
嫌いなものを突き詰めていってもいいじゃないか、理解されなくても叫びを上げるのは自由です。
ただ子蟻は小梨に「あんな人が親なんて信じられなーい!」と言われると無茶むかつきます。
でも小梨や子蟻を圧迫するものの本質は同じなのです。それはご理解いただけると思います。
リンクには私は不快に思っていません。私は自分のエントリを消さないように、リンクも消しません。
子蟻の変なサンプルとして使っていただいても全然かまいません。
子蟻や小梨である前に、人として、嫌なものは嫌だ、と言いたい精神は同じです。
ところで「子供がかわいそう」という言葉について考えてみたくなりました。
もし読んでもあまりお気になさらないようにしてくださいね。