bleeding heart yard、 にて。

「妊婦や子連れ女は外に出んな、目障りだから」と書く日記が人を集めている。
「子供が嫌いです!」と叫ぶ小梨さんに似た部分を認めながらも私はこの人のエントリに嫌悪感を感じている。
私は小梨さんにある種の共感を覚えていて、これは何故かと考えたら、小梨さんの叫びは純粋に
「結婚した女はみんな子供を作って当たり前」の押しつけがましさに精一杯戦おうとしているからだ。
また「子供が嫌いです!」と叫ぶことでどんなそしりを受けてもかまわない、と「覚悟」があるから、
私は小梨さんの意見を真面目に受け取る。でも「心が破れた」人の言葉は全く届いてこない。
私にはこの人が絶対人に悪く思われないようにしよう、と画策するいじましさが透けて見える。
この人が結婚を女の幸せだ、なんて考えていると私は思わない。
子育てこそが、すばらしい正義だとも全く信じていないだろう。
したいのは、自分のすばらしい意見を広めたいだけ、
いや、それ、もう世間一般の常識だから、と、はっきりここに書いておこう。だから子供が減っているのだ。
育児をしている人がここをあまりブックマークしていないのは、うっかり意見を書けば
「じゃあ、あんたの子供達、きっと店でひっくり返って泣くような子供なんだー」と
いやらしい憶測が返ってくるかもしれないからと私は感じている。
実際そういうことを臭わせる人間が彼女に「がんばれ」などと好意的なブクマコメントを残している。
たいていの人は子供を攻撃されることをおそれて何も書かない。
私が何故書くかというと、私の子供は別にスーパーでひっくり返って泣いたりしなかったし、
ほとんどの真面目に子育て中の人の子供はそんなことはしないのを知っているからだ。
責めるに値する育児しかしない親などほんのわずかに過ぎない。
彼女が見かける目障りな親子達もいつも同じメンツではないかもしれない、
普段はちゃんとしている親子連れの「たまたま」のそういう場面に出会っただけではないのか。
妊婦が働ける職場にいる、おそらくはまともな勤め人らしいこの人がスーパーに行く時間とは
夕方から夜にかけてのことだと私は推測する。
なら、子連れでスーパーにいる人も勤め人ではないか、
保育園のお迎え帰りにスーパーに立ち寄っている人たちではないのか。
子供も親も疲れて親への甘えを泣きわめくことではかっている子供とそれを見過ごす親のやるせなさを
この人は全く認めることが出来ないようだ。妊婦を手伝うなんて不公平だ、と書く人でもあるし。
10年以上前を振り返って、私の子供も、ひっくり返って泣きたかったときもあったと思う。
でも子供達は母親である私がほとんど1人で彼女たちの面倒を見ていて
自分たちが泣きわめいたりしたらどうしようもなく私が追い詰められるのを肌で感じ取っていたから
したくても出来なかった。
2人の小さな子供達をまるで抱え込むようにしてひっそりと密室の中で育ててきた私と
子供達の距離はまるで皮膚がつながっているくらい近かった。
私が痛いと感じる視線は子供達も痛い、と感じる、だからお菓子が欲しくても、子供達は泣きわめくことはしなかった。
たとえば病院で走り回っている子供を見ても私の子供は私の手をぎゅっと握って離れていかなかった。
その切なさは声高に育児者を罵倒する人間には届かない。
彼女は自分を「被害者」だという。子供が欲しくても出来ない人間の身になって見ろ、
結婚していない私は究極の不幸だ、と、自分を絶対的な「弱者」において、
自分を責める人間はすべて「悪」だと決めつける。
彼女は従軍慰安婦の泣きわめく姿に嫌悪感を抱いているようだが、
これは今、そのような意見を書く自分自身の姿だからではないのか。
「悲しい被害者」だと同じ圧力をかけてくるその姿に鏡の中の自分を見出しているのではないのか。
全くの「弱者」である自分の叫びは紛れもない被害者の声だと、問答無用の力を持って迫るその意見に
結婚も出産もした私には本来は何も言えない、その意見が意見だと言うより他仕方がない。
ただこれだけははっきり言える、彼女の意見など少数派ではない。
実際どれくらいの企業で妊娠出産に好意的な制度を作っていることか、
妊婦になったとたん、首を切られた人を私は何人も知っている。
それも仕方がない、とあきらめている人の方が世間で考えられているよりずっと多い、
だから、「せめてちゃんと育児をしよう」と家の中に閉じこもる。
また、仕事で最前線を退いてでもがんばって子育てしようとする人もいる。
間違いなくその辺の親父よりは遙かに出来そうなのに、子連れと言うだけでハンデが与えられている。
世間の働く育児者への視線は「心破れた」人が書くように冷たい。
私が「心破れた」人にほとんど共感を覚えないのは多分、この人の書くものは「男目線」がたっぷり入っているからだ。
小梨さんは「女」の立場で心の叫びを書く、でもこの「心破れた」人は「目障りな妊婦、と女も思っている」と
男達の「妊婦なんて女じゃねーよな」の薄ら笑いに媚びている。
子供のことを「セックスの果ての」ってのはどう考えても男のスケベ目線だ。
男目線に媚びている、と言う点で、この人が「女」であることの証のように受け取れるが
では、彼女がそこまでして媚びている男達は、この「心破れた」人と結婚する気はあるだろうか?
「がんばれ」と書く人はこの人と結婚して子供を作る意志は持てるだろうか?
育児者たちがいつも正義を振りかざしている、なんて「自分だけが被害者」の妄想を募らせる人なのだから
この「究極の被害者」の女性と結婚して、子供を作ってみてはいかがだろう。
でもそれは考えもしないだろう、「感情しか書いていない罵倒に「hurray」と囃し立てる」、人には。
もう結婚してるから無理、なんて言い訳は私は聞かない、
転勤する相手と結婚することをやめたらよかっただろう、なんて平気で書く人にそれは出来ないはずだ。
鏡が鏡であることを認められない人はどうも鏡の中の自分を見出しているのにそれとは気づいてないらしい。
こんな人に「がんばれ」と書かれる人に確かに哀れみを感じる。
結局、こういう相手とは結婚したくないよなーと、どこかで思っている、
そんな男に「がんばれ」と書かれてうれしいか?「幸せ」か?
「心破れた」人の意見は実は彼女自身の意見ではないと私は感じている。
男に「認められたい」女が男のめがねを借りて、男の意見をまとめている、それだけのことだ。
そしてそれをはやし立てる男、なんてくだらない。
「女」に「女は女らしく家庭に引っ込むべき」と言わせている「似非右翼」保守親父と全く変わらない。
手法は同じことだ、そして子供を取り巻く世界が悪くなっていくだけ。
そしてまた、新しいエントリで彼女が示す実に巧妙なあわれっぽさ、たいしたものだ。
従軍慰安婦の方が泣きわめいてみせるより遙かにすごい。
そして私は「かわいそうな独身女」を責める「子持ち専業主婦」か、それで上等、それこそが「ネット」。
私は自称「かわいそう」な人間、最強伝説にどこまでも異論を唱える。
「かわいそうだから」で考えることを止めさせるのに反対する。
そんな不純な「かわいそう」をふりまかれて、育っていく子供達を萎縮させたくないから。
追記;お気に入りの方のところで筆者が何らかの虐待トラウマを持っていると教えてもらって、
ちょっと納得、でも反省はかけらほど。「かわいそう」最強伝説は私は嫌いだ。