おかあさんのおしごと。

昔、私たち兄弟3人が何か母親の意に沿わないことをする度に、フルタイムで働いていた彼女は
「私が仕事をしていなければ、、」といって私たちの前で泣いた。
私が育った頃は「専業主婦様」全盛時代で忙しく働いている母の子供である私たち兄弟3人を
まさに「働かされるなんてカワイソー」と言うような近所のおばちゃんが鵜の目鷹の目で見ていた。
「(私の名前)ちゃんは、お母さんが働いているからこんなこともしてもらえないのよね」が決まり文句の
近所の「くそばばぁ」を私はこよなく憎んでいたが反抗したらもっと母親の立場が悪くなるのを
もう私は知っていたので黙って聞いているだけだった。
私には上の兄弟がいて、とっくの昔にその「くそばばぁ」に「精神的けり」を入れて、
そのため、私や私の下がやり玉に挙げられるのを知っていたので下にも我慢させた。
「馬鹿な人間には刃向かうな」、私は幼い時期からそのことをよく知っている。
(注、実践できるかは時と場合によるが)
私を「かわいそう」扱いしながら、そのかわいそうな「私」の「面倒」を
「かわいそうな働かされている母親」のかわりに見てやっている、
その「くそばばあ」のあざといスタイルを私はとてもよく覚えている。
「かわいそう」の言葉を道具にして無力な子供である私たちの存在をなぶっていた。
私の父親は世間一般からするとインテリの部類に入る人でしかもどこに行っても注目を集める美形で
愛想も良かったので、たまに家に帰ってくる父親に「いつも子供達がお世話になっています」と言われるのが
くそばばあの唯一の楽しみだったと私は見ている。
母を働かせているのは父なのにそれにはなんの抵抗もなかったらしい。
「このあいだ川っぷちで1人で遊んでいましたよ」なんて父親に告げ口したりして、
今思えば、川縁で遊んでいる子供を「見て」「確認」しただけで、そのとき何故声をかけなかったのか、
「面倒を見ている」と自認しているわりにはやっていることが奇妙だ。今の私なら絶対そこで声をかける。
後で父親にわざわざ会いに来て話すよりは、その方がよほど親切だ。
何かあって母に泣かれるとき、私はいつもいらだった。
「私が仕事をしてさえいなければ、、」なんて
あのくそばばあの言うことそのまんま「真実」と認めているのと同じことじゃないか、
なんでもっと胸を張って「そんなことはない、私はちゃんと子供を育てている」といってくれないのか、
私は「かわいそうな子供」ではない、と泣いている母を目の前に言えないまでも、感じていた。
母親が仕事をしていることと、私達のたまのいたずらは何の因果関係もない、今でもそう思う。
私にはフルタイムで働く友達が何人かいて、特に勤務医をしている友人は育児相談というか
働きながら子育てする愚痴を数ヶ月に1度、電話をかけて嵐のように話していく。
彼女の嘆きはいつも同じだ、
「私が仕事をしていなければ、もっと子供に手をかけてやれる」「子供はこんなことをしなかったはずだ」
そして私はいつも答える、「そんなことはない」、と。
彼女はあるときは私にそういってもらいたくもあり、またあるときはそういってもらいたくないと思う。
時によっては「あなたが仕事を辞めてもどうにもならないくらいお子さんの出来は悪いですよ」ととられかねない。
そういう意味ではないことを彼女はもちろん知っているので一定期間をおいて再び電話はかかってくる。
私は子供の立場として、ずっと「仕事を辞めたら、、」なんていって欲しくないと考えていて、
仕事をしながら育児にがんばっている女性の中の「スーパーエリート」であることにもっと誇りを持って欲しい、
と思っているが最近少し違った見方をするようになってきた。
仕事をしている彼女は紛れもなく仕事の面でも出来る限りの努力をし、その何年にもわたる積み重ねは
私が「専業主婦業」をしてきたことよりも遙かに社会的意味がある。
しかしそのすばらしい努力も、彼女の子供に対する愛情にかけては全否定してもかまわないちっぽけなものになるのだ。
彼女がどれほど子供を大切にしていることか、自分の業績など子供のほんのくしゃみで吹き飛ぶ程度のものだと
それほど彼女は子供達を心から愛している。
子供のおこした些細な事件で取り乱す、きっと勤務先では冷静に患者を診るに違いない彼女が
子供のためならもう身も世もなく自分が仕事をしていることを嘆く、
子供のためにプライドを捨てるその姿に私はかつての自分の母親を見出している。
子供への愛情の深さを子供達は間違いなく日々肌で受け取っていると私は知っている。
時に母親にいらだつこともあるだろう、でもいつか、その母親の無私の愛情を子供は思い出す。
今の私がそうであるように。
父親が「自分が仕事をしていなければ子供がこんなことをしなかった」とまで考えることがあるだろうか?
私はこの点で父親と母親の違いを感じる。そこまで考えられる父親はまれだろう。
半年ほど前、娘達と一緒に実家の母と小旅行をして、子供達が寝入った後、ふと母が私に
「色々あんた達には迷惑かけたけど、やっぱり仕事を続けていて良かった。
こんな旅行が出来る程度の余裕もある、自分のお金もある、あんた達に世話にならないですむ」
と言って(旅行代金は私の配偶者が出してくれたけど)、私は何となく救われた気持ちになった。
仕事をしていて良かった、と初めて私は母の口から聞いた。
そして、あくまで「子供の世話にならずにすむ」となんの意識もなく言った母に、
私は産んでもらえたことを感謝している。
母は、自分の娘が完全な「専業主婦」であることを誇りにしている。
とても不思議な話だ。