雑談。

スカートが「纏足的」でもあるという記事を読んだ。
なるほど、親の言うことをきちんと聞くとろくでもないなとか、親であるのに考えてしまうよ。
私の場合、色々いわれた気もするが聞き流して、親もその「聞き流す」をある程度、許していた気がする。
「子どもとはそういうものだ」と親も思っていたんだろう、自分が親になった今、私もそう思ってる。
「言っても聞かないときは聞かない」と、でも何かあったときに、私の言葉を思い出して傷つくんじゃないかとこわくなることもある。
「親の言うことを聞いておくべきだった、、」などと、
記憶が「もしも」の悲痛な経験の傷をより深くするものであれば、親にとっては自分が言ったことなど忘れてもらっていいことだ、
親の言葉とは、子どもの心を温めるためだけにあるもの、生きていくために必要じゃない言葉は全て消えてもらいたい。
子ども時代、私が親に言われた、自分に都合の悪いことを全て聞き流してこられたのは、
多分、親が言う以上に周囲が、私や兄弟にろくでもないことを吹き込もうとしていたせいだと思う。
障害者施設で働く母は、専業主婦の多い保守的な地域で、何かあればすぐバッシングの標的になっていた。
彼女たちは「仕事をするなんて子どもがかわいそう」と、子どもである私の前で言う、
それはつまり、私に「仕事をしているような母親を持つおまえは出来損ないだ」と、にやにや笑いでほのめかすことでもあった。
それに真っ向反発して「大人に逆らうような子どもに育って」と、さらなるバッシングをまねく「上」を見て、
3人兄弟の真ん中である私は、こんな人間たちをまともに相手にしたら傷つくと学び、
「ああならないようにあなたは気をつけなさい」と、今度は年下の私に言ってくる相手を心の底から憎んでも、黙っている術を覚えた。
私が口答えをすれば、今度は「下」に「的」が変わるだけ、
子どもだと思ってなめてかかってくる人間から逃れられるほど、早く大人になりたいとずっと願っていた。
子ども時代、容易に大人の言葉を信じることがなかったのを今では感謝している。物事や人を判断する基礎となった。
昔、今もつきあいのある幼なじみが、
「(私の名前)ちゃんのお母さんはえらいって、うちのお母さんは言うとる、外で仕事が出来るのは賢い証拠やって」
と、言ってくれた。
幼なじみの家は鉄工所をしていて、その母親も父親と共に工場で働いていた。
PTAなどの時間の融通は効いたので、幼なじみの母親の「働いている」は目立ったなかったが、
今思えば、「働くこと」がわかっている人は、母のことも私たち兄弟のことも理解してくれていたのだ。
幼なじみの父親からは「兄弟でちゃんとお留守番出来てえらいな」とほめてもらったこともある。うれしかったからよく覚えている。
私が長く幼なじみとつきあっているのも、こんな記憶があるからなんだろう。
子どもを育てられる人とは、子どもに何が一番大切なのかがわかっている。そういうことを時々考える。
ところで、「母親が仕事をしていてカワイソー」なることを言っていた母親集団の、かつての子どもたちは何故か自分の実家に寄りつかないようだ。
なんだか、不思議だな。