雑記。

最近ネットで使われていて知った言葉に「弱者暴力」というのがあって
「弱者」に「ふるわれる」暴力のことかと思っていたらどうも
「弱者(と自称する人たち)」が「ふるう」暴力、と言う意味らしい。(まだよくわからん)
先日、時々読んでた内藤朝雄さんの日記が謝罪文を載せておやめになるとのことで
あら?と思っていたら、その経緯を遅ればせながらあちらこちらで拾い読みさせていただいた。
内藤さんは少々癖のある文章をつづる方なので(もちろん私が言えたことではありませんが)
何らかの行き違いがあったのかな、と言う気がまだしているのだけれど、
本田由紀さんにしろなんだかとても残念だ。
内藤さんに、誤解されがちな言葉を使うスタイルは少々お控えになった方が、、と以前別のところでも
書かれていたので、そういう「スタイル」を理解するのを求めるのは難しいことなんだろうかな。
私はああいう書き方は「芸風」として好きだったんだけど。
なんにしてもここでもふれられていた「弱者暴力」、もう少しあれこれ読んでから考えてみる。
私が2日前に「bleeding heart yard」という言葉をタイトルに用いて
この「bleeding heart」の意味をどのくらいの人が理解してくれたのか、
「けまん草」の英名でもあるけど軽蔑的に「弱い立場への同情を大げさに示す人」と、
「yard」をつけたのはディケンズの小説「リトルドリット」に出てくる町名だったわけで、
まあ、とにかくね、この世はどこでも「血を流す心の庭」であるわけで、
「弱者暴力」はその「弱者」により集まってくる「bleeding heart」達による被害が大きいんじゃないか、
なーんて思ったりして。よくわかりませんけど。
昨日は、ようやくリクエストしていた本、パール・バックの「神の火を制御せよ」を図書館に借りに行って、
ついでに「論座」の小熊英二さんを読んできた。
ふーん、なんだか結論は「私に聞くな」って感じだったな。
だいたいなんで「プレカリアート」を小熊英二が?と思ったんで読みたかったんだけど、
さっきごそごそ調べるとその活動をしている方々と交流があるようで、
でもそれと専門とは違うよな、なんにしても、小熊さんはさくっと書く人ですな、相変わらず。
吉田裕さんが気に入ったので数冊借りて来た。「天皇の軍隊と南京事件
「現代歴史学南京事件」(これは笠原十九司さんと共著)
ふと、おいてあったんでついでに
南京虐殺は「おこった」のかー高校歴史教科書への言語学的批判」(クリストファ・バーナード著)も借りた。
面白そうだったので。
お気に入りのなとろむ先生がまたたいそう香ばしい「武道家」を見つけ出して楽しませてくれる。
先日買った「泡のチカラ」という洗剤の「{ミネラルイオン}が作り出すきめ細やかな泡が油汚れを、、」を
先生はどう思われるのかな、と考えたりして。
「先生」と「武道家」と言えば、内田樹先生がまたおちゃっぴーな意見を書かれていてほほえましい。
内田先生は長々女子大生相手に講義をされてきた方なのだから、あんまりいじめてはいけません。
「武道家」の「風水」先生ですよ?皆さん今更何を期待されているんでしょうか?
内田先生の日記を拝見する度、私は学生時代、「社会学」でお世話になった先生のことを思い出す。
面白い話もしてくれたように思うんだけど、結局、覚えているのは
ご自宅からとってこられたクワの実を先生ご愛用の使い古しのアルマイトのお弁当箱から
ごちそうになったことだけ。(私たちがそんなもの見たことも食べたこともない、と言ったので)
先生、ごめんなさい、、、(涙)
昨日書いたものに私が父を批判的に見てるんじゃないか、と感じられるブクマコメントを読みましたが、
私は父が母を働かせた、なんて思っていません。
そういう「世間の目」があったのを記しただけなんで
身を削って「知性」というものを得た父親のことを尊敬しております。
だからネットのくだらない「知識」ストリッパー達が大嫌いなわけです。
夫婦間のことは子供にはわからない、と子持ちの人間にわざわざ書くとは、非常に変わった名人芸ですな。
(私はイラッときたら必ずそのことを書きますので、ご了承ください)
あ、そーいや、内田先生が男の育児本を書いているってきいたことがあるな、今度借りてこよう。