雑記。

入院長引くオッチャンの病状は内臓よりもむしろ心のほうが重傷。
親しい身内には罵詈雑言を浴びせかける、わけのわからん恨みつらみを喚く、
でも元勤め先である病院の関係者の前ではぴたりとそれを止める。また、大事な娘の再婚相手の前ではね。
心の病と思って許してやりたいが、あの奇妙にきっちりした使い分けはいかなる心の仕組みによるものか、いやはや。
もう死んでもかまわん、死んだ方がましだ、と当り散らすのはつまりまだ生きたい、元気になりたい、
ってことなんだろうが、体の不調はここまで人間のありかたを歪めてくれるかね、
でも病人らしくしろ、と言うのも気の毒かな、と。オッチャンは長い間色んなことを我慢してきた人なんだろう、
それから嫌だ、嫌いだ、と言うのは生きるに必要なものなんだなあ、「幸せでもう死んでもいい」とよく言うし。
実家の父ちゃんもこうなるのかしら、と翻ると案外父ちゃんは家族を試みず好き勝手してきたので
現在、てんてんとかわいらしい爺様になりつつある、母ちゃんのほうがめんどい。
人生は好き勝手した方がよいのかしら、それともずっと我慢して最後の最後で爆発するべきか、、、、。
他の選択肢を探そう。
このあいだ「婦人之友」のバックナンバーを読んでいると本田由紀さんの写真があって、
朝日新聞が使っているのよりずっとよかったんで、朝日はなんでああもポートレート写真が悲惨なんだろうと思う。
先日の小熊英二さんもダーリンが開口一番「君の好きな「ゲゲゲの鬼太郎」がのってるよ」
(ダーリンはこの世のイケメンらしきものになんでか敵意を持っている)の写真だったし、
(でもよそを読むとあの写真でも「イケメンなんで萎えた、本同様あつぼったい顔だと思った」
とあったので笑えた)、内田樹先生も朝日ではじめてみた時、「トミーズのマサだ!」なんて
暴言をはいてしまったが、別ので見るとおフランスな雰囲気ただようインテリな武道家って感じだった。
今朝の鶴見俊輔さんのも毎回イマイチなんだよね、図書館で「論座」を読んだ時はずっといい感じなのに、
朝日新聞、カメラマンをかえろ。
鶴見俊輔さんは体調があまりよくないのかなんだか急いで連載を終わられたような気がする。
長生きして頂きたいので御養生ください。
論座」で件の「丸山真男、云々」に対しての返答を読んで、まあこうも丁寧に売り出していただければ、
ライターとしてのさい先はまずまずなんじゃないのかな、私はこの手のセンセーションを呼ぶ
言葉の使い方を好きだとは言いかねる。まず「丸山真男」と今の時代、出すことが大変「キャッチィ」だよな、
それだした瞬間から「オレって丸山真男、読んでるんだゼイ、えらいかい?」だもんね、
でも丸山真男は私のようなイナカモンでも子供時代に読んでるんだよ、それほど大したことがないって
あまりにも進歩的な知識人にはわからんのかもしれん。私はこの手の「名前」のブランドを使う人間が嫌いだ、
例えば「手塚治虫」「司馬遼太郎」「丸山真男」、この名前で問答無用!的感覚が嫌だね、
鶴見さんが上野千鶴子さんが言ったことをひいていたのは面白かった。上野さんの旗色は
最近よくないらしいが私はやはり傑物だと思う。
言葉と言えば、例えば「寛容」「許す」「他人の痛み」「相対」「絶対」「障害者」の言葉遊びも好きじゃない。
これで、人ってものすごく誘導されがちなんだよな、たまねぎを切って涙が出ても何かに感動したわけじゃない、
とわからない人が引っ掛かるんでしょう、引っ掛かることが悪いとは思いませんけどね。
私は引っ掛かりたくないだけです。
クックドゥのCMのキャラクターが木梨の嫁になっていて、
ムスメが「この人、ママが若い時に似てるって言われてた人だよね、このCM見ると似てるよ」と、
「オーホッッホッホホ」と勝ち誇るが、安田成美さんがストレートにしてちょっと前までしてた私の髪形
そっくりなだけなんだよ、今、私は石田ゆりこ風にしたんで、子供達に絶不評、「前がよかった」
と言いたいんだろう、社会性がついてきましたね、大変よろしい。
でもママは数年に一度べリーショートにしたくなるんだよー!のばすのは大変じゃ。子供は保守的。
「ハテナ」がまた自動ログインできるようになっているんで大変嬉しい。(それともたまたま?)