嫌いな相手に理解されたいとはこれいかに。

実生活でもかねがね不思議に思ってるんだが、嫌いな相手に自分が嫌っていると言うことを知らせたくて
仕方がない人というのがいる。相手に「私はお前が嫌いだ」と知らせてなにかいいことがあるんだろうか?
「おお、その点でだけは君と一致する、私も君が嫌いだ」と言われて握手して、お互いよらず触らずいましょうね、
が関の山なんじゃなかろうか。大体嫌いな相手には何も言われなくても嫌ってるってのはわかるもんだ。
それをわざわざ知らせるとは、なにを相手に期待することがあるのか、私は大変理解に苦しむ。
ネット上でも先日、嫌いなブログのidを公表しよう、と呼び掛けるのを読んでたまげて、
これはいわゆる「つり」ってやつだろうがその発想に呆れた。あんた、それして、何かいいことでもあるのか、
と心から思うんだよね、それがもし一致して応募者多数になったらそのidの人のところにもう書くな、
と言いに行くんか?いやはや、誠に素晴らしき民主主義的いじめ構造、ぜひわたくしのところに一票を、
と立候補したくなった、ごめんね、やめないけど。
つーか、そこまでして嫌いな相手と何故つながりたがる、そこが私にはわからん。
嫌いなら嫌いでいいじゃないか、相手だってこっちを確実に嫌ってる、だからお互いさまなんで、
それを言わずにはいられない、とは実は自分は嫌いだけど自分のことは嫌いにならないでね、
と甘えてんじゃないかと、邪推する。そうとしか思えんのだよなあ、少なくとも私には。
私なんかもうこの日記は嫌いなものを書くためのもので、ほとんど嫌い、嫌い、でうめつくされてる。
それはいけません、と言われても、はあごもっとも、ドウモスビバセン、としか言えないし、
私は嫌いなブログを読むことはめったにないんで、読むのやめといたら、ぐらいしか対処法は教えてあげられない。
実生活の人間関係では最近は嫌いな人にあう機会も少なくなったし、また嫌いな相手であっても、
私には冷ややかな信頼関係があるから、これといって不愉快な思いはしない。
残念ながら人に嫌われてもあんまり不快でもないんだなあ。あら、お子ちゃまね、くらいにしか思ってあげられない。
嫌われて「絶望した!」とでも言って欲しいんかね、それくらいは言ってあげてもいいんだが。
この感じ方って、ものすごく珍しいんだろうか?
中村うさぎさんの本を面白く読んで、でも実は究極にわからないのが、なんで中村さんはあんなにも
御自分にネガティブな反応を見せる人間に一生懸命になるのかってことだ。
他人に向かって「ブス」なんて言う失礼なやつのことを私はマに受けないよ、それ言ってブスが治るンかよ、
って思うじゃん、単に相手を不愉快にさせたり傷つけたりしたいだけでしょう?
そんなやつの思い通りに反応して楽しいかね。
嫌いな相手を傷つけるってそんなに魅力的かな。
嫌うことで相手を傷つけられると信じてる無邪気さが最近ちょっとだけ哀れ。
それって、自分はものすごく素晴らしい、と思ってることかもしれないね、
「おい、こんなにえらいオレ様に嫌われて、傷つけ」と。笑わせてくれるんで、
最近はこの手の「お前なんか嫌いだからな、な、なー!」の人が好きになってきたような。
イイねえ、可愛くて、「嫌い、嫌い、も好きのうち」なんてオヤジ言葉をとばしたくなった。
嫌いな相手に嫌いだと伝えるのは多分、自分を理解して欲しいってことなんだよね、
でも嫌いなのになんで理解されたいんだろう、、、うーん、わからん。