保留権、発動?

はて、選択権の話しをすると必ず反応する人がいるんだが、相変らずこの人の書いていることがよくわからない。
たしか以前は、選ぶ「以前」の問題だ、と書いたら、選んでくれないと困る、的な泣き言を
書いていたような気もする、さて、選ばないから困るのは、選択権がある方かそれともその周辺部か、
ケータイの機種で例えるなら、どうしてもケータイが必要なら理想的な機能のものがなくても
それに近いのを選ぶと思うし、なんとしても買わせたい側の意向なんか金を出す側が知ったこっちゃないよ、
と思うんで、他人の痛みに相対的であっても自分の痛みには絶対とは一体なにが言いたいのやら、
きっと他人の痛みに随分お詳しい心やさしい方なのだろう、としかいいようもないなあ。
他人の痛みに「絶対」になれますかね、「相対」であるくらいが関の山ですよ、
どうも人というものがそれほどわかってないようだ。
他人を理解することはほぼ出来ない、が達観として私にはあるんで、それを覆すような事例を
出していただければ考えますが、今のところネット上でもリアルでもまだ、他人を完全に理解できる、
なんて神のような人には出会ったことはないですね。わからないものをわからないままにするのも、
一種の「理解」とも考えられるので、その手のことならほとんどの人がやってるんじゃないですか。
人が理解できる、他人の痛みもわかる、なんていってる人間のことを私はまず信用しません、
尺度はそれぞれ違うんで、自分の尺度を絶対値とするのも一つの手法だと私は思いますけど、
他人の尺度も全ておわかりになられるような方々もネット上には沢山存在するようなんで、
そういう方々と相対値についてしみじみお語りになられた方がよろしいでしょう。
あんまりわけのわからないことで直リンクされてもねえ、この程度ですか、いってあげられるのは。
例えば、男性がどんなに「わかる」といっても女性の生理痛のおもさやつわりのしんどさ、なんてのは
わかるわけないと思うんで「わからないけど大変そうですね」と言う方なら私は信頼できると感じます。
「わかるけど」といいたがる人にはなにをかいわん、ていうか、女性の生理痛なんてのは同じ女性同士でも
人によって違うんで「私にも生理痛があるけどあなたみたいなことはない」なんて言う奴は最低ですな。
「わからない」で終わらせて自分の主観や絶対性を突き詰める方がもっともわかりやすいのでは?
ものすごく馬鹿馬鹿しい的外れなことを言われている気もするがこれも私の書き方が悪いせいならば
そのとおりだろうから、ま、書かれたことに本当はどのような反応を見せるべきか、判断は「保留」ってことで。
全然別のことをアップするつもりだったのですが(ここ見るより前に書いた)、閑話休題的に今回は書いてます。
次回アップする内容と今回取り上げた人とは全く関係ないんで、(関係ありそうに思われる内容なんですが)
その旨よろしく。
ああ、そうそう、家族であっても一緒に食べると食事がまずくなる例を不幸にして知っているんで、
やはり全ての尺度はそれぞれ個人に帰す、と書いておきます。
この方の書くことにあまり興味を感じたことがなくて他のエントリを読んだことがないから
間違ってるかもしれないけど、この方はものすごくロマンチストなのかもしれませんなあ、
書いてあることを読んで、リアル中坊のロマンチックの塊の娘のことを思い出した。
自分の思い込みに外れたものが「許せないー」としょっちゅう叫んでる、ほほ、可愛いものです。
家族とおいしい手料理で素晴らしい食卓を囲まれることを影ながらお祈りいたしております。
それがあなたの幸せのかたちであることを私はちっとも間違っていると思いませんしね。
今思いついたんですが、この方は優柔不断なのかもしれませんね。私は自分の馬鹿をネット上で晒すことを
「選択」してますが、そのことが気に入らないとはっきり言って同じく自分の尺度の馬鹿さ加減を晒すことすら
「選べない」からこんなわけのわからない内容を書くのかな?
私の痛みを「絶対」的にこの方はわかると言うのかしら、自分の痛みを「相対」的に見るのかしら、
「できる」としてもそのことは私に何の関わりのないことなんですけどね。
次回へは全く続きません、と、もう一度、ヨロシコ。