泣ける(?)雑談。

先日小田実さんの「随論」を読んで司馬遼太郎評に関して大いにうなずいたばかりだったので
亡くなられたのは本当に残念。
昨日お隣ブログになったところを読むと有名になった「何でも見てやろう」を
北杜夫吉行淳之介か誰かが否定的にとらえていたのを初めて知ったが、
こういう都会的な繊細な神経の作家にとっては熱く人を促す言葉に反発を覚えるのも
無理からんことだろうと思う。バッグパッカーの増殖が小田さんのせいだったといえるのなら
それにいらだちを覚えたのもわからないでもないけど
バッグパッカーはもう時代の流れみたいなもんじゃなかったのかな、
一つの意識の突破口を開いた人として私はそれでも小田さんを評価する。
選ばれた人だけが海外に行ける、なんて選民意識から出る発想だよね、
私は自分探しのバッグパッカーより、さも選ばれた人間だと海外で同国人を
冷ややかに見ていた日本人の方を嫌悪する。
「箔」だけつけにきている留学生って結構いたからね、なんにも見ない、なんにも聞こえない、
わかるのは自分が「特別」ってことだけ、「何故?」「海外にきているから」、
国際的パーフェクト馬鹿。まあ、日本人に限ったことじゃないけど。
どれくらい自分が高い下駄を履かせてもらっているかわからない人が斜に見ることを
かっこいいと信じる馬鹿っぷり。そのまねをしたがるさらなる馬鹿もいるわけで、
私はバッグパッカーはやったことはないが、バッグパッカーは馬鹿ばかり、
のラベルを貼られている分だけバッグパッカーの味方になることにする。
もっとも「大陸浪人」の言葉を私はある思い出から、ものすごく嫌ってるんだけど。(最近やめた)
小田さんの本で取り上げていた阪神大震災の被災のことやそれに関して司馬遼太郎のいい加減さ、
それを明確に伝えながら小田さんの言葉はおおらかで優しく私には感じられた。
正確に物事を伝えようとすること、自分の感情を伝えようとすること、
どちらであれ言葉は時に冷たく響くことがある。私はまだ小田さんの本は1冊しか読んでないけど
小田さんの言葉に冷たさはなかった。これはとても不思議ですばらしいことだ。
しようと思って出来ることではない。こういう方が亡くなられたのは本当に悲しい。
鶴見俊輔さんが小田さんの葬儀委員長を務められるそうで
このような天候の時にご高齢である鶴見さんのお体が心配だ。
昨年はお姉様を亡くされてお気を落としではないかと、年下のご友人を亡くされたことも
寂しく感じられているんじゃないだろうか。
だから無理をおしても葬儀委員長を引き受けられたのでは、と。
私は戦後の日本のことをあまりにもしらなさ過ぎるなあ、と最近になって
ものすごく反省するようになっている。戦前のことも、大正時代以降が
私にとっては暗黒世界でこれは授業時間数が足りなくて学校の先生が
「読んでおくように」ですまされたのを、読みもせずに放って置いたせいなんで、自業自得。
あと今だから認める、父親への反発もあったな、最近興味を覚えた人の本はほとんど実家にある。
本当、何でもある。何でもあることへの反発がずっとあったなあ、と
兄弟もそうで、兄弟も父親とは全く違う分野に行ってしまった。そんなもんかな。
小田さんや清水幾太郎や、丸山真男や、無数に存在した日本の近過去の偉人達の足跡を
これから出来る範囲でたどってみようと思う。
若いときはなんであんなに洋物の訳本ばっかり読んだかねえ、それも時代だったんかねえ、、
小田実さんのことはほとんど知らないまでも悲しいと思う、
以上に最近読んだ中でもっとも悲しかった本、西原理恵子さんの「毎日かあさん(出戻り編)」、
私は吾妻ひでおの「失踪日記」で「腐ったリンゴは暖かい」の記述で
ほろっと泣けた以来、久々に泣いた。号泣しそうになった。
本を読んで泣くなんて、学生時代に指輪物語を一気読みしたあと、なかったような気もする。
西原さんの「毎日かあさん」は、ぜひ買って読んでください。
セカチュー」を足蹴に出来る人でも泣けます。(と、思う)