雑談。

鶴見俊輔さんの「俊」をずっと「駿」と思ってたよ、だって伊藤博文の幼名(?)からとったって聞いたから
てっきり「駿」の方かと(でもこの字だっけ)トホホ。
あと丸山真男手塚治虫司馬遼太郎と並べて書いたのはかなり失礼だったなあ、
特に司馬遼ほど嫌いな奴はいないし、手塚治虫はよく知らんし。
小梨さんと子蟻(「はったらッきありさん」って歌いたくなる)さんのやり取りを見て
ふーん、むずかしいなあ、と思う。小梨さんが求めているのは産まなくていいんだよ、ってことだからなあ、
これはなかなか今現在受け入れられにくい考え方だろうから、もうそういう言葉は諦めろ、としか言えないし、
もっと具体的に言えばあと5年我慢すれば親も言わなくなるからそれまでなんとか頑張れ、ってことかなあ、
そのまんまの自分を受け入れて、ってのは自分もそれが出来ないと求めちゃいけないもんなんだけどね。
つまり、どうしても子供が欲しくない自分を受け入れられない母親をそのまま受け入れられるのなら、
母親も子供を持たない選択をした娘を受け入れてくれるかも、なんだな、まあ、うまく行くとは思えませんが。
前にも書いたが「子供なんか欲しくないの」「ああ、いいんじゃないの」ですまされたら、
小梨さんは幸せになれるのかな?ここらへんが微妙だな。例をあげれば、30過ぎの従妹で
まだ結婚していないことをうるさく母親に責められてたのに最近ぱったりそれがやんで、
だから「したくない!」をつらぬけばなんとかなるといえるけど、従妹は急に淋しくなったらしい。
ここらへんが人間の複雑なところだよなあ、言われてた時は「絶対嫌!」だったのに、
言われなくなったとたん、不安になる、おばちゃんは、別の子供の産んだ孫の世話に忙しくて
成人して一人で生きている娘のことはどうでもよくなったようで、ハハハ、人間ってみんな身勝手なんだよ、
まだ人間の言葉を解さない、世話をしないと生きていけない赤ん坊の方に、夢中なんだよね、
だって存在そのものがこちらを「必要」としている、それって、すごく魅力的なことだ。
ここらが「子蟻」が他人に育児の素晴らしさを説きたくなるツボかもしれない。
でもそれを嫌だと思う人はおかしい、と私は思わないし、まあ数年経って、ひょっと、弟さんのお嫁さんが
あっさり子供を産んで「お姑さん、お世話お願いしますね」とでもなれば、状況は全然変わってくるから、
その時も小梨さんの反応が変わらないでいればいいね。多分お母さんはそのことが心配なんだろうと思う。
「やっぱり、、」となっても、もうおそいよ、が一番、ね。
選択権の保留って言うのは、風向きが変わるのを待つ、の意味もあり、私はその風向き次第で
別の選択肢を見つけて選ぶかもしれない、と考えてる。
小梨さんにとりあえず保留権と拒否権をあげたいんだけど、世の中はまだまだその考え方は一般的じゃないよなあ、
まあ、もうしばらく待て、とだけ。親は必ず弱ります、その時小梨さんが手間ひまかけて面倒を見てあげれば、
ああ孫なんていなくてよかった、とお母さんは思うかも。人間はそんなもんなんだよな、、(しみじみ)
相手が変わるように自分も変わるかもしれない、ここが一番こわいことなんだろうな、
それがわかってるから悩む、のかな?
「する」ってことだけ正しいように導かれるのが嫌だってのは本当によくわかる。
子供を持つ、持たないの意志は人間にだけ与えられているようだから、持たない、と考えるのも、
持ちたい、と思うのと同様、「健全」だろうね。これが一般的であればいいんだけどなあ、、難しいだろう。
とりあえず、のびのび暮らせば?といってもグチが書きたいんだよね、その気持ちもわかる、、、
ところで最近ネットの傾向として「理系」的考え方マンセー、ってのが多くて、うんざりする。
「論理の構築が云々」と言われたところで、そんなに理系手法は常に正しい解を導き出すものかな?
論文形式で書けるからと言って素晴らしいわけではないと思いますね。その言い方、馬鹿馬鹿しいですよ。