はてさて。

シノドス」は何が何でも「絶望の国の若者」に絶望させたいようで、小熊さんまで借り出してきての対談を読んだんだけど、
私はこの件においては、古市氏の側に立ちたくなるなあ、本を読んではいないけど。
ただ「絶望を「今は」しない」と発言することは、そんなに中高年を脅かすものかね?
小熊氏にせよ、シノドス的「知的集団」が言いたいのは「団結せよ、立て、若者たちよ!」ってことでしょう。
でも、それは「しませんよ」とやんわり断られていることに腹を立てているっぽい、
「状況をもう少し見てみます」という「余裕」が許し難く、理解しがたい、
でもねえ、から元気の「余裕」でも持たねば、正気が保てないのが「現在」ってものですわ。
そういう「現在」にしてしまったのは、別に今の「若者」ではないですよ?
そもそも、私ら「中高年」は「戦い」ましたかね?
私の同世代で悪戦苦闘している、と言えば湯浅誠さんぐらいしか私は思いつかないなあ、、、
「戦え!」と中高年が言うのは簡単、そして戦っても「どうにもならない」と知ってるのが「戦わされる」側、
小熊さんも、案外年寄りくさいことを言うんだな、と私は少々ガッカリしましたわ。
つか、子どもを育てるのに、「すべて私立で、私立の医歯学部に行かせたら6000万円」って、
そんな「レア」ケースをたとえに出されてもね、その手の特殊なコースに子どもを行かせるご家庭は限られてますから、
引き合いに出すには、変ですよ、なんでそんなに脅すんですかね?
子どもは大人の言葉に耳をかさないから成長するもんで、今は大人全員が子どもに向かって「絶望しなさい!」と言ってるんだけど、
そんなの「まともな」子どもが聞くわけないじゃないですか、
中高年のあんたら、子どものころ、親の言うことをそんなに聞きましたかね?
ブクマでも書いたけど、なんで若いときにしたい放題してきた人間が若者に説教したがるのかな?
かつての「自分」に説教してるんですかね?でも、彼らはかつての「自分」ではないですよ、
それに、したい放題してきたから、今の自分があるんでしょう、それで案外、何とかなってる。
小熊さんだって、いい歳をして岩波をやめて文系大学院に再入学、なんて、あの時代から考えたら相当「したい放題」で世間わたってきたわけで、
それが今や天下の「慶応」の先生で、本もたくさんお出しになってる。
本当はね、「絶望」なんて出来るのは「恵まれた」人にだけ許された「贅沢」なんですわ、それに「恵まれた」中高年は気がついていない、
それを認めない限り、今の若者にこちら側の言葉は届かないと思いますよ。
パンドラの箱を開けて、最後に残ったのは、なんでしたっけ、確か「希望」でしたな。
禁断のパンドラの箱をあけたのは、たぶん、わたしたち中高年世代で、ありとあらゆる災疫をこの世に放ったというのに、
箱の底にたったひとつ残った「希望」をも若者から取り上げる、と私には見える。
もう少し「大人」としてのあり方を、考えないとね。