雑記。

ネットでは当事者同士が了解し合った事柄についてまだ盛り上がっているようで、こうなると、少々「若者いじめ」っぽく見えたりして。
彼はまだ若いんだし、ツイッターでちょっとした失敗をすることだってあるでしょ、それをいつまでもぐちゃぐちゃといいお年の大人が、
ってな意見はいずれ出て欲しいものよ、高齢化があらわなブログ界隈で。
巡回先でもいろいろな意見があって、まるで「○○ばなな」事件を見るような。でもそれは無視して、ふと思ったことのメモを。
今、星野仁彦の「発達障害に気がつかない大人たち」を読んでいる。
発達障害系の話はネットでよく読んで、どうもネットではその障害を罵倒語として使われているのがなんとも。
しかしそれを罵倒語として使う本人がどうもその障害を患っているように見えたりして、とりあえず読んでみようと1冊。
読んでいると、今まで子育てをしてきた中で腑に落ちなかったことがだんだん理解できていくような、
私は「育て方」が子育ての全てか、というと、そうではない、の意見を持っている。
どんな育て方をしたとしても、言い方はヒドイが「ダメなものはダメ」「出来ることは出来る」の感を持っていたりして。
あまりにも、育てる側に全責任が行き過ぎているのを感じるんだよね、特に「母と娘」の場合は。
ネットで非常に人気のある記事は常に「母親に虐待されて育った私」の母親罵倒で、
それを支持することが「良き母親」あるいは「私は毒親ではありません!」の宣言とされているのに私は違和感を覚える。
いい年になっても、未だにダメだった母親を客観視できない人間を全面的に肯定することは逆の意味での障害者差別のような、
「子供の味方!」ってのがお題目としてまかり通る、この知恵のなさに現役母親の私は本当にうんざりする。
アホしか子供の味方はおらんのか、って。
まあ、要は、母親罵倒をやっている娘の中にはいわゆる「発達障害」がいるんじゃないか、と私が思ってるって話で、
そう考えると今まで現実に見てきたことに納得がいく。
娘たちの同級生たちに「なんでこうなるの?」的な子供が少なからずいたからなあ。
その異様な反応が母親の育て方だけのせいとは思えないものがいくらでもあるんだよね、
週刊誌的に「あの母親は人前ではあんなでも、家庭に帰れば、、」な下世話な反応もできるんだけど、どうしてもそれでは納得できない部分もある。
正直、母親が娘の被害者の場合も往々にしてある気がする、なんでここまでの反発を喰らうのって感じ、それは違うでしょ、って。
子供の目から見ても子供側がおかしいと見えることもあるんだよね、特に母親対娘の場合。
今まで見てきて、不思議なのは、男の子の場合、割と早くに「ちょっとおかしいのかも」がわかるような気がする、
おそらくは発達障害的な問題行動が幼稚園か小学校低学年くらいでよそからも見えるような、
でも、女の子の場合、「どう考えてもちょっと異常」が見えるのは小学校高学年から中学くらい、
特にこの時期は普通であっても難しいので、それでもはっきりはわからないんだけど、
「これって母親の育て方だけのせい?」な子供の反応ってあるのよね、「そりゃおかしいだろ」な。
今まで、子供たちの同級生で、少なからず関わりを持った子供の中で3人ほどそういう子がいて、
そういう子達って高校生になると本当に見事なまでにいわゆる「不純異性交遊」に走る。
若い女の子だから、いくらでも相手はいるのよね、、
むちゃくちゃをやってドツボに落ち込んで、心を病んで、始まるのがどうやら母親罵倒、
「育て方が悪かったせい!」って、それもそうかもしれないが、教育と療育は違うものなのが私世代くらいだとわからないものね。
ダラダラ長くなったので、ここできるが、巡回先の琥珀氏と紙屋氏の記事で、関連する内容を読んだので、メモ。
ある種の障害の知識が正しく広く伝わるようになれば母親になるのを極端に恐れる必要はなくなると思う。