ひとへのことば。

とあるところを読んで思ったのは、育児には指針になるものが必要だということ。
ほとんど宗教的な戒律のように、盲目的に、有無を言わず従うべきものが親には必要で、
つまり親に必要であるということは子供には不可欠であるということ。
宗教の戒律がそうであるように、大人である親にとっては「なぜ?」と疑われるものもあるのだけれど、
それに従うことで形になるものも、確かにあるのだ。
子供に「形」を与えること、多分幼児にとってはそれが一番大切で、
それがなければこの先生きていくべき時に芯となるべき何かに欠ける、「かもしれない」。
子育てしてきてわかったのは「これはこうでなければならない!」とは「ない」のだけれど、
もっと粛然と、厳格で頑迷な「何か」に親は頭をたれなくてはならない、その姿を子供にも見せなければならないということ。
なにものであるかを知る必要もない「何か」を、子供のために選ぶことが一番親がするべき仕事で大変かもしれない。
私がその「何か」を選べてきたかどうか、はっきりはわからないし、たぶん多くの後悔を持つが故にわかったことでもあるのだけれど、
これだけ確実に言えるのは、私は娘たちに「自分で考えること」ができるように育てられた。
私にとっての「絶対」は「私が見て、どう考えるか」だった。
それが社会で生きていくことに有益かどうかは定かではないが。
一つだけ言えるのは、何を選んだとしても、親に子供の幸福を祈る気持ちがある限りその選んだものは決して「間違い」ではないということ。
ただご多幸を、と、ネットにひっそりと。