いやはや。

久々にネットに戻ると相変わらず、という印象。
朝日新聞土曜版「青のbe」の「悩みのるつぼ」は相談者が実在しているとは私は一度も思ったことがないので
「また朝日が、、」と思っていたら、ネットでは上野千鶴子叩き向けの記事として相談者が実在していることになっている。
上野千鶴子のやり方を叩いている人は本当はわかってるんだろうなあ、私は朝日系列のこの手のやり方が大嫌い、
「橋下」vs「佐野眞一」の時もそう、「お約束」なことをやらせて焚きつける。はてなの「増田」みたいなものか。
こういうのが好きな人は実生活にどのような不幸を抱えているのか、涙が出るわァ。(嘘)
それにしても佐野眞一氏は、東電OL事件の件でもっと賞賛されてもいいはずなのに、あれで完全にぶっ潰されたなあ。
「悩みのるつぼ」に関しては、「なぜ、この質問にこの人なんだろう?」なことが多くて、
今回の件でも、一番まともに回答を出すのはおそらくは岡田斗司夫か金子先生、
もし「悩み」が「本当」なら男性に回答を求めるのが真面目に悩みに答える「大人」としてのあり方ではないか、
思春期の子供に対しての新聞社の態度が全く「まとも」ではないのは質問者が「実在していないから」としか私は思わない。
これをもしまともに受け止めて、彼が実行したとしたら、どれほどのとんでもない評判が子供を取り囲むか、
それすらわからないのが朝日新聞社としたら、ジャーナリズムなんて信用しないに限る。
お約束の芸風にお約束の反応か。いやはや。
そういえば土曜版の別コラムではかの「さかもと未明」の件が取り上げられていて、「赤ん坊の声が鬱陶しいと言ったらフラれた」ってな話だった。
それが「仕事」とどう繋がるのか、朝日新聞の土曜版ってひょっとして記者の掃きだめなのかね?アホかと思う記事が多い。
いつの間にか姿を消した「結婚未満」を彷彿とさせる内容だったな。
さかもと未明の件で一番私が驚いたのが「赤ん坊の声は不快」が共通認識として浸透したらしいことだった。
「不快な声だからこそ」の言葉でそれを巧みに定着させた24時間営業者に私は反吐が出る、
かの書き手は歪んだものをまっすぐに見せる手法を持つ一種の天才なんだろう、それもまた「お約束の芸風」か。
私は葬式の場で響き渡る赤ん坊の声を人間の警告音とはとらえない、
命の声を不快な音として消費する、そのいびつな感覚を恐ろしいと思う。そしてそのいびつを上手に隠す人間を怖いと思う。
さて、また次の波が来るので、しばらくお休み。それでは。