教育(?)雑談。

最近、ホットエントリに「教育」に関するモノがいくつかあって、教育には答えがないから、いろんな意見があるなあ、などと、
もう「教育」を投げ気味になっているおばはんは感心している。だって、下の子はほぼ自立しているし。
教育に成功も失敗も「ない」がなんとなくわかってきてるしね、
極端な話、ある程度大きくなれば、もう「生きて動いていれば「よし」としよう!」になるのよ、、、そこまでに曲折はあるけどね。
「勉強だけができない」とか「勉強だけしかできない」とか、特に「勉強だけしかできない」はこれは実は「頭がいい」ではないんだよね、
日本の成績は「記憶力」が8割で出来ているから。要は記憶力がいい子に有利、
記憶力がいい、がすなわち「頭がいい」にはならないのはよく知られていることで、なんでも丸のみできる能力はそれなりに立派ではあるんだけど
記憶を動かす能力があるかどうかは、また別の話になってくる。
上の子が飛びぬけて成績が良かったのは多分に記憶力の良さに助けられていて、ただ学んだものを動かそうとするとその良すぎる記憶力が枷になる。
様々な情報が行動を阻もうとするんだよね、で、それを押しのけるのは経験知、今はその修行中。
我が子達が幼かった頃「生きる力」なるものが教育指標の一つで、「生きる力」とは多分溜め込んだ記憶を自分に有利に動かすことなんだと今は思っている。
その能力はつまりは人間関係を、うまくやっていく、ということなんだろう。
これがまた、「教育」するには難解なるもので、下の子はどこでその力を身につけてきたのか、ものすごく人間関係を上手にさばく、
ということはつまり、自分の感情を上手に始末できることでもあるんで、これって教えられてできることなのかどうか、
そしてそれが全て「良い」かどうか、上の子はそういことが上手ではないけれど、人をひとりひとりとても丁寧に考える、
どちらも私の目から見れば「正解」でしかないので、どちらがいい、悪い、は決められない。一生懸命生きているものね。
子どもの教育に関して「褒める」がどうの、の話も読んで、親は「褒める」「認める」「励ます」が成長に必要だとわかっていればいいんじゃないのかな。
幼児の頃に無条件に受け入れられる存在として根拠のない自信に溢れさせるのは大事かも、
根拠のある自信はその根拠を崩されたら簡単に壊れるからねえ。
と、無責任に、子供を社会に放流しようとしている親はつぶやくのでした。教育とは経験よ、なんちゃって。