雑談。

少し前にふと子供たちの小学校PTAのことを思い出して、そのとき「教育大付属校」と「底辺公立校」である私たちの小学校が本部で組んだときのことも思い出した。
ずいぶん見下されたなあ、ぜんぜん連絡なしにいきなり「今日までにこれこれをやるはずなんだけど」などなど、
そのときのうちの学校の本部役員のひとりがちょっと頼りなくてちゃんと物言う人ではなかったので、常に馬鹿にされっぱなし。
私と友達は本部役員ではなかったものの、応援に借り出されて、あんまり馬鹿にしたようにものを言われるので、気の強い友達は啖呵を切って、
やらなくてもいい仕事を引き受けてしまった。実のところこちらにやらせたかったことなんだろうが。
結局、様々な「いびり」を聞いて激怒した仲間とともに、その仕事のいい加減な仕組みを根本的に変えることになり、
次年度からは、情状がまったく関わる余地のないシステムにしてつき返すという、「ここまでやらなくても」と相手からは言われつつ、
それでも「正しいのはこちら」とやり返したのですっきりして解散、あのころのPTAはまだ「昭和」の匂いがそこはかとなく漂っていたなあ、
「私たちは「付属小学校の保護者なのよ!」」という相手のわけのわからないプライドに気おされる役員はいたわ。
私と友達のような生え抜きの底辺公立校出身者には理解できない世界だった。まあ、あまり底辺過ぎると「だからなに?」になるのよね。
「自分の子供を馬鹿な学校行かせてるんだから、あなたたちは馬鹿でしょう?」的な扱いに従う人っているものなのかな。
私は付属校の保護者にも友達がいるので、後に「付属小学校で役員をやる人はやりたがる人でかなり気が強い」と聞いて納得した。
それにしても「私は付属小の役員!」というのが「ステイタス!」と信じきるその根拠のない自信はどこでつくのか、
そのすばらしき役員の一人の子供と娘が高校で同級生になったんだが、その子の成績は底辺だった。まあ、人間「成績」ではないんだけれど。
私はいつも教育大付属校も「公立」だと思うが、何故かそうではないらしいので、不思議で仕方がない。
「教育は私立で!」という人が、大学だけ国公立を目指させたりして、大学も私立に行けばいいのに、としみじみ思う。
何で大学だけ公立偏重になるかな?
それから住んでいる場所によって、公立校も様変わりする。大学や公務員宿舎が校区にある小学校だとレベルはぐっと高い。
「公立教育はもうダメだ」という人は多いが、何が「ダメ」なのか、実のところ重箱の隅をほじくる程度のことしか言わない人が多くて、
馬鹿馬鹿しい。東大に入るばかりが人生ではないのだよね。
下の子の時、出身中学で十分普通科に進学できる学力のある子達が調理師免許が取れる食物科のある高校に進学した。
母子家庭で、ちゃんと将来のことを考えて進学する聡明な子供たちだった。そういう子供たちも「ダメ」なのかな?
私はいい加減な学歴だけつけて、就職しても3年ももたず、ぐじぐじネットでたわごとを書いている人間より、よほどすばらしいと思えるな。
何がよくて何が悪いか、それを学ぶのは私立でなければいけないわけじゃない。「学ぶとは何か」がわかってない人は意外に多い。